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「ボノちゃん」から電流爆破マッチまで…横綱・曙はなぜリングに上がり続けたのか? カメラマンが見た“心やさしい愛妻家”のプロレス時代 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2024/04/16 17:29

「ボノちゃん」から電流爆破マッチまで…横綱・曙はなぜリングに上がり続けたのか? カメラマンが見た“心やさしい愛妻家”のプロレス時代<Number Web> photograph by Essei Hara

“因縁”のボブ・サップにプロレスのリングでラリアットを見舞う曙。2013年1月4日、東京ドーム

瞬間最高視聴率は43%…ボブ・サップとの世紀の一戦

 そんな曙が突然、相撲界を去って、2003年大晦日のK-1で鮮烈なボブ・サップ戦が実現する。試合よりその発表自体が衝撃だった。大会場で同じ日に3つのイベントが繰り広げられた空前絶後の格闘技ブームであり、格闘技バブルでもあった。

 満員のナゴヤドーム。その夜、筆者はリングサイドにいたが、まさか曙がKOされるとは思わなかった。巨象が倒れてピクリとも動かなかった。忘れられない出来事だった。紅白歌合戦の裏で、瞬間最高視聴率は43%をマークした。

 翌年の大晦日はグレイシー柔術のホイス・グレイシーが相手だった。打撃も練習してホイスと対したが、曙は弱点のヒザにアリキック(ローキック)を浴びてしまう。それでも上になってホイスに乗ったが、巧みな関節技にまたしても苦杯をなめてしまった。

全日本プロレス、ハッスルでの活躍

 曙がプロレスラーになったのは2005年7月、WWEの日本ツアーで舞台はさいたまスーパーアリーナだった。さらに同年8月4日には武藤敬司が絡んでいたWRESTLE-1でグレート・ムタとシングルマッチで対戦した。

 WWEがもっと曙に興味を示していたら「リアル・ヨコヅナ」がアメリカで暴れまわっていたかもしれない。そんな姿を見てみたかった。

 その後、曙は武藤が社長だった全日本プロレスでファイトした。8月21日、後楽園ホールで諏訪間幸平(現・諏訪魔)と組んで勝利した曙は、メインイベントにも助太刀で乱入し、プロレスの師匠である武藤と二人で「プロレス・ラブ」のポーズを決めてみせた。

 同年10月にはタッグマッチだが、ノアの三沢光晴と対戦した。三沢は容赦ないエルボーを曙に打ち込んでいた。三沢としても打ちがいがあっただろう。

 ビッグネームが曙の相手だった。戴冠は叶わなかったが、2006年3月には新日本プロレスの両国国技館大会でブロック・レスナーが保持していたIWGPヘビー級王座に挑戦した。

 2007年のハッスルのリングではインリン様(インリン・オブ・ジョイトイ)とムタの子供という設定で「モンスター・ボノ」や「ボノちゃん」になって、いいキャラクターを演じた。

【次ページ】 なぜ、曙はリングに上がり続けたのか

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