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マンCから突然のオファー、板倉滉がベガルタ仙台を去った冬…育成強化本部長が振り返る“その後”「仙台のことを気にしてくれていた」
posted2024/03/03 17:01
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
AFLO
紅白戦でつかみ合い
リーグが再開した夏以降も、板倉は仙台の最終ラインを支える一人として、ピッチに立ち続けた。経験を重ねることでゲームの流れを読む力は養われ、味方と連係して守る術も習得。元来、備えていたシュートブロック、スライディングの技術も試合で遺憾なく発揮していた。シーズン終盤に差し掛かると、ピッチ外の言動にも変化が見られた。ことあるごとに「チームのために」という言葉を口にするようになっていた。ちょうど、仙台が勝利から遠ざかり、苦しかった時期である。ある日の紅白戦で球際の激しさが増し、板倉とジャーメイン良(現ジュビロ磐田)がつかみ合いとなった。
「苛立ちから出た行動ではなかったと思います。褒められた行為ではないですが、チームを勝たせたい、良い方向に向かわせたいという熱量を感じました。これまでの経過も見てきましたから。その後、滉とも話し、『無理にその気持ちを抑える必要はない』と言いました」(当時の監督・渡邉晋)
板倉もまた仙台愛を深めていた
プロで初めて1シーズンを通し、チームのために戦い続けることで、周囲の思いを背負ってプレーする一人前のプロフットボーラーへ変貌を遂げていた。レンタル選手ながらユアテックスタジアム仙台の熱狂的なファン・サポーターから支持されたのはその証。板倉もまた仙台愛を深めていた。それを誰よりも感じていたのは、強化育成本部長だった丹治祥庸(現山形GM)である。
「何でもざっくばらんに話してくれる選手でしたから。良い意味で物事をポジティブにもっていける。言葉の端々から仙台への思いが強くなっているのは分かったし、責任感も出てきたなと。仙台と板倉、板倉と仙台がマッチしたんでしょうね」