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「井上(尚弥)さんはスパーリングというより試合」パートナーを務めた男を包んだ“強烈な緊張感”…堤駿斗は「プロ初のKO勝利」を目指す

posted2023/12/17 06:00

 
「井上(尚弥)さんはスパーリングというより試合」パートナーを務めた男を包んだ“強烈な緊張感”…堤駿斗は「プロ初のKO勝利」を目指す<Number Web> photograph by Hiroaki Yamaguchi

12月31日のプロ4戦目で「プロ初のKO勝利」を狙う“ホープ”堤駿斗

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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Hiroaki Yamaguchi

 売り出し中の“ホープ”の中でも堤駿斗の評価は極めて高い。日本人初の世界ユース選手権優勝を筆頭にアマチュアで輝かしい実績を残して昨年7月にプロデビュー。今年5月、国内最速記録となる3戦目で東洋太平洋フェザー級王座に就いたのだから、ここまでは上々だろう。

「アマチュアエリートでも、プロで成功しなかった先輩方がいます。自分もそういうパターンになるのか、自分のスタイルは通用するのか。不安はありました」

 同じボクシングとはいえ、アマとプロの違いは小さくない。たとえば1試合3分3ラウンドのアマと、最長で3分12ラウンドのプロは、陸上の短距離走とマラソンにたとえられるほどだ。堤も戸惑いながら、一つひとつ乗り越えてきた。

「8オンスのグローブ(アマは10オンス)が一番大きかったです。相手のパンチの威力が上がるのは予想してましたけど、自分が拳を痛めたのは想定外。びっくりしました」

きっかけは「那須川天心の妹に負けた日」

 生まれは千葉県千葉市。幼稚園の年長で極真空手を始めた。小学校1年生のとき、大会で同学年の女子選手に敗れた。この子がのちに格闘技界を席巻する那須川天心の妹だったことで格闘技人生が動き始める。両家に交流が生まれ、1学年上の天心がキックボクシングに転向して、2011年に「TEAM TEPPEN」を立ち上げると、堤も誘われて合流。週に1度、天心と一緒にキックの練習に励むようになった。

「当時はK-1が流行っていて、自分も子ども心に『格闘技で食べていきたい』と思ってました」

 小学5年生から近所のボクシングジムにも通った。キックのためだったが、やがて「こっちのほうがあっている」と感じて中学3年生でボクシングに専念、快進撃が始まった。千葉・習志野高で高校6冠、世界ユース制覇、さらにはシニアの全日本選手権にも優勝した。高校生の全日本選手権制覇はあの井上尚弥以来の快挙だった。

 '20年の東京オリンピック出場が視界に入ったが、大学生になった世界ユース王者はシニアの壁にぶち当たる。国内はまだしも、海外エリートのフィジカルの強さは予想以上だった。それでも日本代表の座は確保し、アジア・オセアニア予選に出場するも、五輪に手は届かなかった。

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