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ガリガリなジーコ少年が「サイボーグ選手」に…「体がみるみる大きくなり、筋肉も」クラブ世界一へと上り詰めた“肉体改造”とは

posted2023/09/24 17:01

 
ガリガリなジーコ少年が「サイボーグ選手」に…「体がみるみる大きくなり、筋肉も」クラブ世界一へと上り詰めた“肉体改造”とは<Number Web> photograph by Mark Leech/Offside-Getty Images

1981年のジーコ。フットボール王国ブラジルで愛されるスーパースターは、どんなキャリアを描いてきたのか

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Mark Leech/Offside-Getty Images

30周年を迎えたJリーグの軌跡に刻まれたブラジル人選手や関係者。彼らに当時のウラ話、そして引退後の今を聞いていく。今回はついにジーコが登場。鹿島アントラーズや日本代表で尽力した日々、ブラジル代表での輝かしいキャリアまで――70歳となった今、NumberWebで縦横無尽に語り尽くす。(全5回の4回目/第1回第2回第3回から読む)

 一度、ブラジルで引退した後、日本で現役に復帰して、Jリーグ創世期の最大のスターとして発展に貢献。鹿島アントラーズの強化に携わった後、日本代表の監督を務めた。その後、第三国の多くのクラブや代表の監督を務めた後、再び鹿島の強化に携わってきた。

 この世界のフットボールの歴史に燦然と輝くレジェンドは、どのように育ち、選手としてのキャリアを過ごしてフラメンゴとセレソン(ブラジル代表)のスターとなったのだろうか。

 本人の話を聞くうち、輝かしい栄光の裏で、実は幾多の困難を乗り越えてきたことがわかってきた――。

家族のアドバイスと手助けを受けていなかったら…

――先日、元々はご両親の家で、あなたが生まれ育ち、今は兄エドゥーが住むキンチーノ(リオ北部)の家で、エドゥーにインタビューしました。6人きょうだいで、男5人のうち4人がプロ選手になったフットボール一家。互いに助け合ってキャリアを歩んでおり、きょうだいの結びつきが非常に強いことがよくわかりました。

「私は、両親の深い愛情を受けて育った。そして、フットボールにおいても人生においても、長男ゼッカ、次男ナンド、三男エドゥーの背中を見ながら育った。幼年時代、少年時代に彼らのアドバイスと手助けを受けていなかったら、その後、私が選手として大成することはなかったはずだ」

――9歳で両親に連れられてポルトガルから移住した父親は、フラメンゴの大ファン。子供たちを連れてマラカナン・スタジアムへ通い、フラメンゴを熱烈に応援した。彼の影響で、家族中がフラメンゴファンになったそうですね。

「そうなんだ。僕は、フラメンゴの名MFジッダに憧れた。家の前の通りで、そして父親が敷地内に作ったフットサルコートで、兄弟や近所の子供たちとボールを追いかけて技術を磨いた。みんなうまかったから、いつも大勢の大人たちが見物していた(笑)」

日本では「ジーコ」だけど正しくは「ズィーコ」?

――あなたの名前は、日本では「ジーコ」と発音されてそのように表記されるわけですが、ポルトガル語の発音をできるだけ正確に日本語で表記すると「ズィーコ」となります。あなたのファーストネームであるアルトゥールから派生したニックネームだそうですね。

【次ページ】 物心ついた時には、ボールを蹴っていた(笑)。

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