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サンクチュアリ俳優・猿谷は千代の富士の“付け人”だった…!「僕の断髪式で号泣したんです…」実は“優しい親父”の素顔と忘れられない最後の会話 

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/06/26 11:03

サンクチュアリ俳優・猿谷は千代の富士の“付け人”だった…!「僕の断髪式で号泣したんです…」実は“優しい親父”の素顔と忘れられない最後の会話<Number Web> photograph by JIJI PRESS

土俵の下で取組を見守る審判部長の九重親方(2010年)

 審判の仕事は交代制で、控室で過ごす時間も長くなる。審判部にはケータリングのようなものが用意されていて、親方衆はお菓子などもそこから取って食べていた。

 現役時代は脂肪の少ない筋骨隆々の肉体をしていた千代の富士。そんなお菓子も“無駄”と考えていたのか、ほとんど甘いものは食べなかったという。

 ところが、一つだけ例外があった。

「どら焼きです」

 そう、澤田は明かした。

「甘いものは好きじゃないのにどら焼きだけは食べました。『どら焼きがあったら持ってきてくれ』って。なんかかわいいですよね(笑)。黒あんと白あんがあったら両方持っていって選んでもらうし、粒あんとこしあんがあったらそれも選んでもらう。調子がいいと2個食うんで(笑)。あ、きょうは1個だったか、みたいな」

 親方衆は昼寝をしていることが多く、審判部の部屋はいつもシーンとしている。付け人だってついつい眠くなる。

「自分の師匠がトイレに行けば、手を拭くおしぼりを持ってついていくのも付け人の仕事です。でもウトウトしちゃうんですよ。そんな時、うちの師匠は僕らを起こさずに一人で行って帰ってきましたね」

 あとで気づいても、時すでに遅し。ドキッとした瞬間、トイレから戻ってきた師匠と目が合う。

「すんません‼」

「けっ!寝やがって」

 文句を言う千代の富士の顔はいつも少しにやけていた。

「そういうところが優しかったんです」と澤田は懐かしそうに語った。

やせ細った師匠との最後の会話

 千代の富士は2016年7月末、すい臓がんのためにこの世を去った。享年61。澤田にとっても早すぎる別れだった。

 亡くなる直前の名古屋場所、宿舎に差し入れを持ってあいさつに行った。そこであまりにやつれた師匠の様子に驚いたという。

「これはいかんと思いました。自分にも何かできることはないかと考えて、免疫力がアップするというサプリメントを持っていこうと思ったんです」

 後日、再び師匠の部屋を訪ねた。

「これ、甘いですけど、免疫力を高めますんで飲んでください」

 澤田は師匠の顔を直視できなかった。その2年前、実の父親もがんで亡くしていた。やせ細った師匠の表情には、その時と同じ黒い影が忍び寄っているのが分かったからだ。

「失礼します」

 下がろうとすると「おい」と小さな声で呼び止められた。

 顔を上げると師匠はこう言った。

「ありがとな」

 それが師匠と交わした最後の会話になった。

「なんとか持ちこたえてほしかったんですけど……。僕は自分の父親といた時間よりも師匠の方が長く一緒にいた。父が死んだ時は泣けなかったけど、師匠の時は涙が止まりませんでした。生みの親はもちろん大事なんですけど、師匠は自分にとってそれぐらい“親父”でした」

(つづく)

◇◇◇

#3では、大相撲に入門した当時のエピソードのほか、Amazon配達員として奮闘する“第二の人生”を紹介している。

澤田 賢澄(さわだ・けんしょう)

1986年6月23日、三重県伊賀市出身。現役時代の四股名は澤田—千代の真—千代の眞。幼少時代は妹、弟(千代の国)とともに空手で活躍(空手初段)。中学卒業後に九重部屋に入門し、2002年春場所で初土俵を踏む。2012年秋場所で引退。最高位は幕下59枚目。引退後は飲食店経営を経て、Netflixのオリジナルドラマ「サンクチュアリ -聖域-」の猿谷役で役者デビュー。178cm、130kg

#3に続く
千代の富士を知らずに角界入り…“サンクチュアリ猿谷”を演じたAmazon配達員が語る力士時代の後悔「タニマチが…当時の俺をぶん殴りたい」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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