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「慶應のエルドレッド」と騒がれて…“取材が苦手だった”元楽天・岩見雅紀が明かす“なぜ活躍できなかったか?”「まあ、あえて言うなら…」

posted2023/02/20 11:04

 
「慶應のエルドレッド」と騒がれて…“取材が苦手だった”元楽天・岩見雅紀が明かす“なぜ活躍できなかったか?”「まあ、あえて言うなら…」<Number Web> photograph by KYODO

昨年、楽天から戦力外通告を受けた岩見雅紀。年末のテレビ番組出演、そしてスカウト転身の裏側を語った

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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KYODO

 オーバーリアクション気味に苦悩する。

 昨シーズン限りで楽天を戦力外となった岩見雅紀の「その後」が描かれたテレビのドキュメンタリー番組で、そんな一幕があった。

「もちろん、本当に悩んでましたよ。あれは、番組で密着してくださったディレクターさんがいたからで。近くに仲が良い人がいたらああなるのって自然じゃないですか」

密着番組に岩見が…意外だった理由

 プロ野球選手としての未来が閉ざされかけていたにもかかわらず、オープンに振る舞っていたのは、それだけ岩見が相手に心を許していた証拠でもあった。

 それが、意外だった。

 岩見は本来、取材が苦手な選手だったはずだ。数日、長ければ数週間、数カ月も密着されるテレビ番組となればなおさらではないか。

「今でも好きではないです、正直。ありがたいことなんですけど、『僕じゃなくてよくない?』って思っちゃうんで」

 今回、番組出演を承諾したのは、世話になっている大学野球部のOBが、そんな自分の性質に理解を示しながら「取材を受けてみたら」と勧めてくれたからだった。

 岩見がメディア対応に難色を示すようになったのは、野球人生の未来が大きく開かれた慶應大時代である。

なぜメディア対応が苦手に?

 3年でレギュラーとなるとホームランを量産した。4年間トータルで10本でも上出来とされるなか、そのペースは3年の1年間だけで7本と驚異的で、4年秋には「慶應のバレンティン」「慶應のエルドレッド」の異名を付けられた岩見は、マスコミから徹底マークされるバッターとなった。

 各媒体にとって、見出しとなりそうな文言――例えば「記録を塗り替えたい」といった趣旨のコメントを引き出そうとするのは常套手段である。しかし岩見は、そんな魂胆が見え隠れする取材に辟易するようになった。

「何回も取材してくれて仲良くなった記者の方は、そういう自分の性格をわかってくれていたんでよかったんですけど、初めて自分を取材するような方だと『こういうこと、言わせたいんだろうな』ってわかっちゃって。正直、面倒くさい部分はありました」

【次ページ】 プロ入り後の苦闘

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