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朝青龍が直電で喝「なんで負けたんだ!」甥・豊昇龍もビビる“超やんちゃな叔父さん”にも殊勝な時期が…20年前、綱取りの瞬間に流した涙 

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荒井太郎

荒井太郎Taro Arai

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posted2023/01/18 17:00

朝青龍が直電で喝「なんで負けたんだ!」甥・豊昇龍もビビる“超やんちゃな叔父さん”にも殊勝な時期が…20年前、綱取りの瞬間に流した涙<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2003年1月、初場所で2場所連続優勝を果たした朝青龍。横綱審議会の横綱推挙を受けて、笑顔で記者会見に臨んだ

横綱昇進を決めた瞬間、頭に浮かんだのは…

 綱取りにもかかわらず、場所前から場所前半にかけての注目度はそれほどでもなかった。右膝の古傷を悪化させて前の場所を全休した貴乃花の動向が連日、取り沙汰されていたからだ。出場に踏み切った“平成の大横綱”だったが、2日目の雅山戦で左肩を負傷し、翌日から休場。新たなケガだったこともあり、進退を問う声はそれほど大きくなかったが、自ら退路を断つ形で5日目から再出場してからは、往年の姿は見る影もなく8日目の安美錦戦を最後に土俵を去った。

 この場所、東の支度部屋奥に明け荷を置いた貴乃花の右手前のスペースをモンゴル出身初の大関は陣取り、準備運動で汗を流しながらも大横綱の一挙手一投足にチラチラ目をやりながら、角界最高位を張るために必要な素養を貪欲に吸収しようとしていた。

 貴乃花引退騒動を尻目に8日目、ストレートで給金を直したが、翌9日目は平幕・海鵬の内掛けに敗れ、土俵下に落下。左ふくらはぎに肉離れを発症させ、左足薬指も脱臼した。絶好調が一転、ピンチに陥ったが、気持ちを奮い立たせてくれたのは、間近で見ていた手負いの横綱の姿だった。

「今までに経験したことがない痛み」に苦しんだが「子供のころからテレビで見ていた。ケガして頑張れるのはすごい。横綱を見本にして自分も頑張る」と当時は殊勝に語ったものだった。

 患部は馬の生肉を貼って冷やし、回復に努めた。不覚を取った後はケガを引きずることなく、そのまま逃げ切り14日目、関脇琴光喜を押し出して13勝目を挙げ、連覇を達成。勝ち残りの土俵下では大粒の涙を堪え切れなかった。

「丸刈り頭のことを考えていた」と横綱昇進を決定的にした瞬間、頭に思い浮かんだのは17歳になる直前、モンゴルから日本の明徳義塾高相撲部に相撲留学し、泥だらけになりながら無心で稽古に励んだ日々だった。のちの“やんちゃ横綱”にも、そんな時期があったのだ。

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