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堀米雄斗を金メダルに導いた“3人のオヤジ”「雄斗は一番飲み込みが悪かった」「若い奴らには物やお金じゃなくチャンスを与えるのが一番」 

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byTomonori Taneda

posted2023/01/07 11:00

堀米雄斗を金メダルに導いた“3人のオヤジ”「雄斗は一番飲み込みが悪かった」「若い奴らには物やお金じゃなくチャンスを与えるのが一番」<Number Web> photograph by Tomonori Taneda

スケートボード五輪初代王者の堀米雄斗。1月7日に24歳の誕生日を迎えた

 プロへの登竜門となる『DAMN AM』『TAMPA AM』といったアメリカの大会で、当初は壁にはね返されていた雄斗も3年目に入ると結果を残し始めた。

「若い奴らには物やお金じゃなくチャンスを与えて、彼らの頑張りで実らせてあげるのが一番。経験させて、まず考えさせて、そこで気がついたら、人から言われてやるよりも強く変えていけるじゃないですか。それは努力ではない。“楽しいスケートボード”だから、みんな続くんです」

 だから早川が教えたと言えるようなことは実はあまりない。雄斗が自分で感じ、考え、変わっていったからだ。現在の「日本代表コーチ」の肩書きにも早川自身が誰より居心地の悪さを感じている。

「スケーターはみんな『何あいつコーチとか言っちゃってんの? ヤバくない?』って笑ってると思いますよ。だって俺が逆の立場だったら絶対に言いますもん(笑)」

 あえて肩書きをつけるなら「ファン」だと早川は言う。雄斗の、そして日本の若いスケーターの一番のファンであると。

「ファンだから尽くせるんです。みんな俺よりむちゃくちゃうまくてカッコいい。見ているだけで楽しいし、もう憧れでしかありません」

“日本代表ファン”は無観客のオリンピック会場でも雄斗に寄り添い、そして誰もが羨む特等席でその滑りを見守っていた。

「スケボーで世界一を目指す15歳がいる」

 ロサンゼルスでは吉田宏之が自宅に集まった友人とテレビに映る雄斗を応援していた。中古ピアノの修理・販売業を営む吉田の家に初めて雄斗がやってきたのは2014年の春、彼がまだ15歳の時だった。

《スケボーで世界一を目指す15歳の子がいる。どんなツテを使ってでもアメリカに行かせたい。どうか面倒を見てやってほしい》

 雄斗が初めてアメリカの試合に出ることになったとき、家に泊めてやってほしいと早川が依頼したのが吉田だった。

 吉田も18歳の時に右も左も分からないまま海を渡った経験があった。高校までは野球部に所属し、アメリカに来てからは趣味でサーフィン。そして友人の繋がりでLAに来ていた日本人プロスケーターたちと知り合う機会があり、当時その中にいたのが早川だった。年に数回連絡をするかどうかで、まったく親しい間柄ではなかった。それでも依頼を受けた時、吉田はぜひ夢追う少年の力になりたいと思ったのだ。

 空港に迎えにいくと到着ゲートからやせっぽちな少年が出てきた。1人でやってきた不安や時差ボケもあったのだろう。大会を控えているのに体調が悪いという。「何か食べたいものはある?」と聞くと「アイスクリーム」と言った。その1年前、母親と一緒に初めてアメリカを訪れた時に『Dippin' Dots』という粒状アイスをよく食べていたのだという。

「さすがに不安だったんでしょうね。初めてのアメリカの大会で相当プレッシャーもあったんだと思う」

 アメリカで知っているお菓子がそれしかなかったということかもしれない。だが吉田には、単身異国にやってきた15歳が母との思い出の味で心細さを和らげようとしているように感じられたのだった。

 その後、雄斗がアメリカに来るたびに吉田はいろいろと世話をするようになった。LAに拠点を移してすぐの頃、「泊まりに行ってもいいですか?」と連絡があって迎えに行くと、車中で雄斗が尋ねてきた。

「ヒロさん、僕はアメリカでプロとしてやっていきたいんです。ヒロさんみたいに家を買って生活していきたい。どうしたらいいと思いますか?」

 吉田が伝えたのはアメリカに溶け込むことの大切さだった。

「雄斗はスケボーはうまいんだから、アメリカのカルチャーに慣れることが一番じゃないかな。メジャーリーグでもそうだろ? いくら野球がうまくてもこっちに溶け込めないとダメ。大変だけど1人で行くのが一番いいよ。日本人が2人固まってたら何も教えてもらえない。1人ならみんなが話しかけてくれる」

 それは吉田が若い頃に実際にやっていたことだった。アメリカ人とルームシェアし、今ではスケートコミュニティに完全に溶け込んだ雄斗の姿を見ていると、あの時の言葉を実践してくれたのかもしれないと思うのだった。吉田は今も妻の有紀とともに雄斗の生活面のサポートをしている。だが頼られる機会はずっと少なくなった。

【次ページ】 「え!? 銅メダルでも取ったんですか?」

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