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<7月第一子を出産> “ロシアの妖精”シャラポワ35歳は「ウクライナ侵攻」に苦悩していた…アメリカ在住でも「私はロシア国籍で生きることを選んだ」

posted2022/07/29 17:01

 
<7月第一子を出産> “ロシアの妖精”シャラポワ35歳は「ウクライナ侵攻」に苦悩していた…アメリカ在住でも「私はロシア国籍で生きることを選んだ」<Number Web> photograph by AFLO

3月にパリのファッション・ウィークに登場したシャラポワ。祖国・ロシアについて”沈黙”を守っていたが…

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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 5つのグランドスラム・タイトルを持つテニスの元世界女王、マリア・シャラポワが7月1日、第一子となる男の子を出産した。日本時間の16日に更新されたインスタグラムでは、一昨年12月に婚約したイギリス人実業家のアレクサンダー・ギルケスと顔を寄せ合い、我が子を見つめる写真を公開。「私たち小さな家族にとって、何よりも美しく、生きがいをくれる最高の贈り物」とメッセージを添えた。母になること、家族を作ることをずっと夢見てきたのだと現役時代も言っていたシャラポワの、見たこともない穏やかな表情、やさしい眼差しが印象的だ。

子供を産んでから、復帰することは考えられない

 シャラポワは2020年2月に突如現役引退を発表。その半年ほど前のウィンブルドンでは、こんなことも語っていた。

「子供を産んでから競技に復帰することは考えられない。そういう自分を想像したことがないの」

 女子テニスに女王不在といわれて久しい昨今はシャラポワがいた時代が恋しく、もう35歳になっているとはいえ、復帰でもすればたいへんな盛り上がりになるに違いないが、鋼の意志を持つシャラポワに二言はなさそうだ。「テニスプレーヤーと母親の二足のわらじはありえない」という思考は、自身が少女のときの経験から形成されたのではないだろうか。

 7歳のときに父親に連れられてアメリカへ渡ってから最初の2年間は、ビザがおりなかった母親と離れて暮らした。テニスは大好きだったが、人生で一番辛く寂しい時期だったという。世界一稼ぐ女子アスリートとして何年も君臨したシャラポワは、テニスが家族に名声や富を与えると同時に大きな犠牲も強いることを早くから知っている。

ウクライナ侵攻、そして出産の公表

 今、こうして結婚、出産という夢を叶えたが、公表のタイミングには悩まされたのではないかと想像する。2月24日にロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始した頃、当然妊娠はわかっていたはずだ。心身の健康が大事なときに、世界中から「あなたの声の力を生かして」といったメッセージが多く届けられていた。

 すぐには応えることができなかったシャラポワが“沈黙”を破ったのは、2週間あまり経った3月9日。やはりインスタグラムを通して「日々悪化する戦況で危険にさらされるウクライナの家族や子供たちの画像やニュースを目にし、心を痛めている」と綴り、NGOの『セーブ・ザ・チルドレン』を通してウクライナへ寄付をすることも表明した。プーチン大統領やロシアの非難まではしなかったが、少なくとも声を発し、ウクライナへの支援行動をした数少ないロシアのアスリートのひとりであり、その中でももっとも名声ある人物である。

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マリア・シャラポワ
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