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「あのボルトも生身の人間なんだ」 王者ウサイン・ボルト“まさかのフライング”に世界中が沈黙した日…世界陸上の“大事件”が遺したもの 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2022/07/16 17:00

「あのボルトも生身の人間なんだ」 王者ウサイン・ボルト“まさかのフライング”に世界中が沈黙した日…世界陸上の“大事件”が遺したもの<Number Web> photograph by Getty Images

2011年の世界陸上大邱大会、男子100m決勝でフライングとなり、ショックを隠せなかったウサイン・ボルト

世界中で巻き起こった議論「このルールは厳しすぎる」

 この事件は大きな波紋を投げかけた。スーパースターのあっけない結末に、世界中の陸上ファンの間で「このルールでよいのか」という議論が巻き起こった。

 選手からも声が上がった。銀メダルを獲得したウォルター・ディックス(アメリカ)は「このルールは厳しすぎるのでは」と疑問を呈し、銅メダルのキム・コリンズ(セントクリストファー・ネビス)は「従来のルールの方が……」と語った。これらの反応は、新ルールに対し重圧を感じる選手が少なくなかったことを表している。

 また、ルール改正の理由として、フライングの繰り返しで競技時間が延びることでテレビ中継に影響を与えてしまうことへの配慮もあったのではないかと取り沙汰されていたことも、新ルールを批判的に見る向きを加速させていた。

 一方で、ルールは全選手に対して平等である、という声もあった。賛否いずれにせよ、議論を巻き起こしたことにもボルトのフライングによる失格がもたらした衝撃の大きさがあった。

フライングへの恐怖…ボルトもまた、生身の人間だった

 当のボルトは「自分の責任」と潔く受け止めていたが、2009年世界選手権100m準決勝でもフライングをしているように(そのときのルールにより失格にはなっていない)、決してスタートが緻密な選手ではないと指摘されていた。

 それに続く、しかも決勝での出来事は尾を引いた。この大会の200mでは優勝してリベンジしたが、世界選手権ののち、100mではスタートにとらわれて苦しみ続けた。

 象徴的なのは2012年、ロンドン五輪代表選考を兼ねたジャマイカ選手権100mで2位と敗れたことだ。スタートを意識するあまり、かえって「スタートでミスをしてしまいました」とレース後に語っている。フライングへの恐怖がどれだけ長引いたかを表しているし、苦悩するさまは、ボルトもまた生身の人間であることを示していた。

 でも、そのままでは終わらなかった。ボルトはその後のロンドン五輪で優勝を果たしたのである。長引く不振を脱し、恐怖に打ち克っての金メダルだったからこそ、価値があった。

【次ページ】 「ボルトのフライング」がもたらした大きな影響

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ウサイン・ボルト

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