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94年生まれ、大谷翔平が思い出す“今江敏晃のマネをしていた野球少年時代”「だから僕は羽生世代ですって」 

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石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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photograph byNanae Suzuki

posted2022/04/13 06:55

94年生まれ、大谷翔平が思い出す“今江敏晃のマネをしていた野球少年時代”「だから僕は羽生世代ですって」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

今季も活躍が期待される大谷翔平(撮影は2015年)。自身の少年時代を振り返った貴重なインタビューを再掲する

「全国へ出るという目標をもって練習してきて、それを達成したときは今までで一番と言っていいくらい嬉しかった。5年生、6年生のときにはすごく悔しい思いをして、そういう悔しい経験がないと嬉しい思いもできないんだということを知ることができました。

 ただ、全国大会には出ましたけど、千葉のチームに1回戦で負けましたし、相手のピッチャーが僕よりもいい球を投げていて、相手の4番バッターが僕よりもいい打球を打っていた。その1回戦で負けた相手が次の試合であっさり負けて……そういう現実を見せつけられたら、やっぱり僕はたいしたことないんじゃないかなと思いました。僕はしょせん、狭い範囲で野球やっているんだな、岩手では大谷、大谷と言われても、そんなの、それこそ小さな枠組みの中の話で、全国にはもっともっと上がいるんだなと思い知らされました」

小5、今江敏晃のマネ「窓を見ながらフォームをチェック」

 大谷が小学5年生だった2005年、プロ野球の世界では、千葉ロッテマリーンズが日本シリーズを制した。そして6年生になる2006年の春には第1回のWBCが行われ、イチローがチームを引っ張って日本代表は世界一に輝いた。大谷が中学1年で全国の舞台に立った2007年には、松坂大輔がレッドノックスヘ入団し、日本中を大騒動に巻き込んだ。

「イチローさんも松井(秀喜)さんもそうでしたけど、子どもの目には、国内のスーパースター、トップの人たちが大リーグヘ行くという流れが映っていましたし、大リーグのほうが大きく見えましたね。でも、自分がそこを意識したのは、実際に大リーグの球団から欲しいと言ってもらえてからの話で、あの頃は、今江(敏晃)さんのマネをしてました。打つほうでは今江さんのタイミングの取り方にハマってたんです(笑)。ピッチャーのほうは、松坂さんのワインドアップでした。

 斉藤和巳さんやダルビッシュ有さんのマネもしましたね。パソコンが家に来てからは、それこそずっとYouTubeを見てましたし、いろんな人の投げ方を見ながら、ああでもない、こうでもないと考えてました。で、何かが閃いたら障子をあけて、窓に映る自分を見ながら、フォームをチェックするんです」

いずれは“大谷世代”に?と聞くと「いやいや……」

 トップレベルの日本人選手がメジャーヘ行き、WBCで日本代表が世界一になり、インターネットを通じて世界中の野球を覗くこともできる――大谷はそんな環境で育ってきた。高校時代に160kmを投げ、いったんは高校からのメジャー行きを公言して世の中を驚かせ、プロでは“二刀流”に挑んでその名を全国へ轟かせた。プロ2年目にはベーブ・ルース以来、96年ぶりという“同一シーズンの2桁勝利と2桁ホームラン”を達成し、去年は“投手三冠”に輝くなど、今や1994年生まれを代表する存在となっている。

【次ページ】 「だから僕は、『羽生世代だ』って言うんです」

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