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ロマチェンコやウシクまで銃を手に…“極限の選択”を迫られたボクシング大国・ウクライナの選手たち「歩いてでも家族の待つ国に帰る」 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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posted2022/03/02 11:03

ロマチェンコやウシクまで銃を手に…“極限の選択”を迫られたボクシング大国・ウクライナの選手たち「歩いてでも家族の待つ国に帰る」<Number Web> photograph by Getty Images

2012年ロンドン五輪で2大会連続の金メダルを獲得し、プロ転向後も世界最速で3階級制覇を成し遂げたワシル・ロマチェンコ。ロシアの侵攻を受けて、母国ウクライナの領土防衛隊に入隊したことが報じられた

「多くの橋や道路が爆破されたと聞いているので、車でたどりつけるかどうかは分からない。電車は動いていると聞いた。仮に電車がダメだとしたら、私は歩く。ウクライナに必ず帰る」(『USA TODAY』より引用)

 アメリカの無敗ホープ、ゲーリー・アントゥアン・ラッセルとの試合は、残念ながら10回TKO負けに終わった。“アイスマン”の異名を持つ心優しき元世界王者は無事に帰国できたのだろうか……。

ヘビー級を席巻したクリチコ兄弟は早々に「戦う」と表明

 世界を代表するトップボクサー、ロマチェンコとウシクの存在が象徴しているように、ウクライナは数多くの名選手を輩出してきたボクシング大国のひとつだ。強さの下地ができたのは旧ソ連時代に遡る。数々のメダリストを生み出した旧ソ連の育成システム、ノウハウを土台とし、成長を続けてきた。プロ、アマを問わず、多くのトップ選手が今でも活躍している。

 その先駆けであり、ウクライナの英雄的存在と言えるのが2メートル近い長身を誇るクリチコ兄弟だ。2人は90年代から2000年代にかけて活躍し、そろって世界チャンピオンに君臨した。弟のウラジミール氏は96年のアトランタ五輪スーパーヘビー級金メダリストで、プロでは17年までリングに上がった。兄のビタリ氏は引退後、政治家に転身し、14年から首都キエフの市長を務めている。

 この兄弟はロシア侵攻に対していち早く「他に選択肢はない。戦う」と表明してニュースになった。ウラジミール氏は予備役に志願。ビタリ氏は市長という立場で、現地の様子をSNSで発信し続けている。

 その後を継いだと言える“ハイテク”ことロマチェンコは前述した通り北京とロンドンで五輪2大会連続の金メダリストに輝き、プロに転じて3階級制覇を達成した。ウシクもロンドン五輪のヘビー級金メダリストだ。

【次ページ】 彼らの戦う場所はリングであり、戦場であってはならない

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