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左手骨折でも“超高難度技”トリプルアンダーフリップに挑戦…スノボ岩渕麗楽が明かしていた自らのメンタル「精神的に終わりがない感じでした」

posted2022/02/16 11:03

 
左手骨折でも“超高難度技”トリプルアンダーフリップに挑戦…スノボ岩渕麗楽が明かしていた自らのメンタル「精神的に終わりがない感じでした」<Number Web> photograph by Lee Ponzio

岩渕麗楽(Reira Iwabuchi)2001年12月14日、岩手県生まれ。4歳からスノーボードを始め、'17年12月に15歳でW杯ビッグエアを制す。平昌五輪ビッグエア4位、スロープスタイル14位。今季は12月のW杯でビッグエア優勝。150cm

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

PROFILE

photograph by

Lee Ponzio

スノーボード・ビッグエア女子決勝で、記録よりも記憶に残る名シーンが生まれた。その主役となったのは日本の岩渕麗楽。4位から逆転でのメダル獲得を狙った最後の3回目、彼女が見せたのは、女子の試合では誰も見せたことのない超高難度技、縦3回転のトリプルアンダーフリップだった。

あと少しのところで着地は決まらなかったが、周りの選手が次々に駆け寄ってきて、その果敢な挑戦を熱いハグで称賛。まるで東京五輪のスケートボードを思わせるような、心温まる選手たちの姿が広がった。

逆転は叶わず2大会連続の4位となった岩渕。試合後には前日の予選で左手甲を骨折していたことも明かしたが、その超高難度技への挑戦に至るまでには、五輪直前まで続いた葛藤や逡巡があった。

今回は五輪直前に雑誌Numberのインタビューに応じた有料記事を特別に無料公開します。<初出:Sports Graphic Number 1045号(2022年2月3日発売)、肩書などはすべて当時>

 北京入りする前、岩渕麗楽の姿はオーストリアにあった。五輪前最後となったスイスでのW杯を終えた後、ビッグイベントであるXゲームも欠場し、他の選手と離れて同地での最終調整を選んだ。

 最後の追い込み練習のため? そうじゃなかった。むしろ正反対の理由だった。

「大会が続いて辛い部分があったんです。試合に出るの疲れたなって。スノーボードすることに対してちょっとネガティブな気持ちだったので、自分の好きなパークでリフレッシュしたいと思いました」

 プロスノーボーダーの活動を大きく2つに分けるとしたら〝大会〟と〝映像〟になる。岩渕の滞在していたザルツブルクにあるアブソルートパークは、無数のアイテムを完備し、世界中のスノーボーダーが集まっている。岩渕も昨春にはここで撮影を行って、自らの滑りを映像に残した。その時に久しぶりに楽しいスノーボードができた感覚があったのだという。

「大会は技を決めることが最優先。映像はどうやったらカッコよく見えるか。そもそもの考え方からして違うので、それぞれの滑りは全然違います」

恐怖心と向き合い、ストイックに自分を追い込む

 大会になると、技術を追求し、恐怖心と向き合い、ストイックに自分を追い込む作業になる。五輪で実施されるのはスロープスタイルが3回目、ビッグエアが2回目。競技として洗練されていけばいくほど、先鋭化して高難度化が進んでいく。

【次ページ】 果てしない開発競争は彼女のメンタルをすり減らしていった

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