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警察が優勝球児に「お前たちが盗んだのか?」 夏の甲子園の優勝旗が消えた“中京商の事件”…発見前日にナゾの投書「占いでは明日見つかる」 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2022/02/15 11:02

警察が優勝球児に「お前たちが盗んだのか?」 夏の甲子園の優勝旗が消えた“中京商の事件”…発見前日にナゾの投書「占いでは明日見つかる」<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

68年前、1954年の夏の甲子園で優勝した愛知・中京商業で、校長室にあった優勝旗が何者かに盗難されるという事件が起こった(※写真はイメージ)

じつに2カ月半後、優勝旗が発見された場所は…

 中京商では、全校生徒を動員して付近の山を捜したり、発見者には後援会から10万円の懸賞金を出すと一般にも協力を呼びかけた。当時の校長で野球部の実質上の総監督でもあった梅村清明によれば、《卒業生や父母のいうことをなんでもきいて神仏に念じ、優勝旗を捜した。捜査には犬も使った》という(『朝日新聞』1978年7月18日付朝刊)。野球部の優勝当時のメンバーは願かけのため熱田神宮に参拝している。

 盗まれたモノがモノだけに換金すればすぐ足がつくとあって、質屋や古物商から出てくる見込みはまずなかった。そのため、関係者は、犯人が野球部に恨みを抱いていたり、あるいは騒ぎが予想外に大きくなったために処分に困ったりして、優勝旗が焼かれるようなことになりはしまいかと恐れた。

 だが、優勝旗は事件発覚から約2カ月半後の1955年2月14日、無事に発見される。場所は中京商から500メートルほどしか離れていない名古屋市立川名中学校だった。その日の午後、廊下板の修理を頼まれた家具商が教室の床下に潜っていたところ、風呂敷包みを見つけた。校務員立ち会いのもと包みを開くと、なかから優勝旗が出てきたのである。

「今朝、お告げがあった。方角は北」

 捜索中には占い師や新興宗教の信者たちからも助言や投書が届いたという。発見翌日の新聞朝刊(『中部日本新聞』1955年2月15日付)ではいくつか不思議な話も伝えられている。発見前日の2月13日には某所へ「占いによるとあす優勝旗が出る」との投書が来ていたという。さらに発見当日には、野球部の川島広之主将が盗難発覚以来願かけのため日参していた“某教”の神官4人が学校を訪れ、「きょう中にきっと発見してみせる」と野球部長の瀧正男らに話していた。

 瀧の自伝『白球に乾杯』(中央公論新社)によれば、訪問者からは具体的に「今朝、お告げがあった。方角は北で、建物の床下にある」と言われたという。ただ、その方角はすでに何度も捜していただけに、瀧いわく《あまり期待出来ないと思ったが、「人を出してみましょう」と、返事をしたその時、職員室の電話が鳴った》。それが川名中から見つかったとの一報だった。

 瀧は連絡を受けると、中京商の北東にある川名中へ走った。優勝旗を一目見て本物だとわかった瀧は「間違いありません」と確認の上、受け取ると、集まっていた野球部の生徒から万歳の声が上がったという。

朝日新聞取締役は校長を怒鳴りつけた

 その場にいなかった関係者も発見の報に歓喜した。上京中だった校長の梅村は「ただ感無量です」と語り、その日の夜行列車で名古屋に向かった。中京商の優勝時のエースの中山俊丈は、入団が決まっていた中日ドラゴンズのキャンプ参加中に一報を受け、《僕たちの旗ならばあきらめもつくのですが、これは全国高校野球連盟に加入している選手全体のものだけに卒業までに出してもらって心残りなく卒業したいと思っていました。いま発見されたというニュースを聞いてなんともいえないうれしさで一ぱいです》とコメントした(『中部日本新聞』1955年2月15日付朝刊)。

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