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朝日杯を勝った名馬バブルガムフェローの運命を変えた“驚きの選択”とは?「当時の常識」を覆した“3歳で天皇賞・秋制覇”の偉業

posted2021/12/18 06:01

 
朝日杯を勝った名馬バブルガムフェローの運命を変えた“驚きの選択”とは?「当時の常識」を覆した“3歳で天皇賞・秋制覇”の偉業<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

1996年の毎日王冠。3着に入り、次戦天皇賞・秋では見事勝利を飾った

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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Tomohiko Hayashi

 今週末、朝日杯フューチュリティS(GI)が行われる。

 レース名から競馬場や条件など、様々な変遷をたどり、現在は阪神競馬場の芝1600メートルで、牡馬牝馬共に出走可能な2歳のGIレース。これがまだ中山競馬場で朝日杯3歳Sという名称で行われていた1995年に優勝したのがバブルガムフェロー。管理したのは後の1500勝トレーナー・藤沢和雄調教師だった。

 デビュー戦こそ3着に敗れたバブルガムフェローだが、その後、3連勝でGIホースになった。当然、翌年のクラシック戦線でも中心的存在になると誰もが思ったが、2歳(当時の数え方では3歳表記)チャンピオンになった直後に、藤沢調教師は次のように語った。

「菊花賞は考えていません。秋には天皇賞・秋へ向かわせようと思っています」

 距離適性を考えて菊花賞をパスする馬は昨今でこそ多くなって来たが、1990年代の3歳馬といえば判で捺したように菊の大輪を目指すのが当然の時代。2歳王者になったばかりの時点で「菊回避」を公言した藤沢調教師の態度には多くの人が驚いたものだ。

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 そして翌年、伯楽は有言実行をする。スプリングS(GII)を勝利したバブルガムフェローだが、その後、骨折が判明。皐月賞(GI)、日本ダービー(GI)といった春のクラシック二冠を棒に振った。しかし、秋に戦列に復帰すると、藤沢調教師が公言した通り、菊花賞へは向かわずに天皇賞・秋を目指したのだ。

 そのため、藤沢調教師が休み明け初戦として走らせたのは毎日王冠(GII)。古馬相手のここを3着に善戦すると、当初の予定通り天皇賞・秋へ駒を進めた。

【次ページ】 東京の長い直線を押し切って…

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