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「生涯獲得賞金は10億超え」たった700万だったメイショウサムソンが3億超のエリート馬を破るまで

posted2021/12/03 11:02

 
「生涯獲得賞金は10億超え」たった700万だったメイショウサムソンが3億超のエリート馬を破るまで<Number Web> photograph by フォトチェスナット

2006年の日本ダービー。粘るアドマイヤメインをかわし、余裕の勝利にも見えたメイショウサムソンの二冠達成の瞬間

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林田麟

林田麟Rin Rinda

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ダービーや皐月賞を狙うような一流馬は、多くの場合が高額馬だ。しかしそうした華やかな素質馬たちに挑戦する人馬がいた。「雑草」という言葉がよく似合う、メイショウサムソンと石橋騎手も、愚直に挑戦したコンビだった――。

競馬を愛する執筆者たちが、ゼロ年代後半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負 2005-2009 ゼロ年代後半戦』(星海社新書)から一部を抜粋して紹介する〈メイショウサムソン/ウオッカ編に続く〉。

 派手なガッツポーズも何もないゴールだった。

 騎手デビュー22年目にして摑んだダービージョッキーの称号。そして「メイショウ」の冠でおなじみの松本好雄氏にとっては馬主となって33年目の悲願達成。さらに言えば管理する瀬戸口勉調教師にとっては勇退を前にした最後の日本ダービーでもある。喜びを爆発させたとて、誰からも文句を言われない、いや、むしろ大いに祝福されるであろうシチュエーション。

 それでも、石橋守騎手はいつものレースと変わらないゴールを迎えた。白地に黒字のゼッケンだけに「これは平場のレースだったかな?」と勘違いしそうになるくらいだった。メイショウサムソンも同じく、特別なことは何もなかったかのようにクールダウンしていた。それは、石橋騎手とメイショウサムソンの歩んできた道のりそのものをあらわしていた。

700万の馬と、重賞勝利まで7年の苦労人騎手

 よく似た“ふたり”だ。

 メイショウサムソンは瀬戸口調教師の勧めで松本氏が700万円で購入した馬だった。輝かしい血統もなく調教の動きも目立たずクラシックとは無縁と思われたサムソンは、かつてダービー馬を一頭も生んだことがない小倉でデビューした。初勝利には3戦を要し、未勝利、オープン特別を連勝するものの重賞ではもどかしい競馬が続き、ようやく重賞に手が届いたのはデビュー9戦目のスプリングステークスだった。

 一方の石橋騎手も、デビュー戦こそ初騎乗初勝利を飾ったものの重賞勝利には7年を要し、前走の皐月賞がGⅠ初制覇。気づけば、齢四十が間近に迫っていた。メイショウサムソンとの出会いもあらかじめ決められていたものではなく、当時瀬戸口廐舎の主戦だった福永祐一騎手がデビューの週に新潟に遠征していたために起きた、偶然の巡り合わせだった。

【次ページ】 3億超の高額馬も…エリートが並んだ日本ダービー

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