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松坂大輔41歳、“栄光のち苦悩”での引退 「ヒジに謝りました。ここまでよく投げてきてくれたねって」と話した日 

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photograph byKoji Asakura

posted2021/10/19 18:10

松坂大輔41歳、“栄光のち苦悩”での引退 「ヒジに謝りました。ここまでよく投げてきてくれたねって」と話した日<Number Web> photograph by Koji Asakura

2002年の松坂大輔。高校野球、プロ野球、侍ジャパン、MLBの舞台すべてで栄光に輝いた唯一無二のエースである

 しかしその発表直後、松坂はボストンでキャッチボールを始めた。しかも、腕を振り切って30球を投げ込んだのである。

「投げても痛みが出ないとか、ノースローで治っちゃったじゃんなんてことが、もしかしたらあるんじゃないかと思って、それで投げたんです」

 痛みはひかなかった。翌日には「もっとヒジの状態が悪くなった(苦笑)」という。これでメスを入れる覚悟を決めた松坂は、不安と怖さを抱きながら、謝罪の言葉を自身の右ひじにかけたのだった。

僕自身、松坂大輔であり続けたいと一番強く思っている

<名言3>
周りの人が持ってるイメージのまんま、そうであり続けたいと一番強く思っているのは僕ですから……。
(松坂大輔/Number926号 2017年4月26日発売)

◇解説◇
 メッツでの2年間を経て、2015年にソフトバンクで日本球界に復帰した松坂だが、一軍登板は2016年10月2日の1試合だけ。その際も1回被安打3、与四死球4、暴投1の5失点という散々な内容で、翌日には登録を抹消された。

 2017年はオープン戦で好投するなど復活を予感させ、4月15日の一軍登板に向けて調整を続けていた……が、右肩不調を訴え、自ら申し出て登板を回避した。以降リハビリを続け、一軍昇格のメドは立たないまま、残酷に日々は過ぎていった。

「悔しいとか残念とか、そういう気持ちを強く持ってるのも僕自身なんです」

 このまま松坂は消えていくのか――批判的な目もむけられていた当時、誰よりも苦しんでいたのは、かつて「平成の怪物」と呼ばれた松坂自身だった。

<名言4>
今日も普通にマウンドに上がれて、普通に投げられたことが一番です。
(松坂大輔/Number948号 2018年3月15日発売)

◇解説◇
「最初に肩を痛めたのは2008年でした。じつはオークランドのブルペンへ行く階段で滑っちゃったんです。手すりにつかまったとき、肩の関節がズレたような気がしました。あの日から右肩の痛みとの戦いが始まってしまったんですよね」

 2018年、10年間にも及ぶ右肩の痛みのきっかけとなったアクシデントを松坂はこう回想していた。前年オフにソフトバンクを退団し、中日に移籍。3月4日のオープン戦での登板後にもれた安堵の言葉は、まごうことなき本音だったのだろう。

【次ページ】 最後の日も、「18」を背負って

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