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“競馬大好き芸人”蛍原徹が明かす、一番忘れられない名牝は?「新幹線のデッキで聞いた『蛍原さん、ホクトベガ死んだ!』」 

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2021/10/12 17:05

“競馬大好き芸人”蛍原徹が明かす、一番忘れられない名牝は?「新幹線のデッキで聞いた『蛍原さん、ホクトベガ死んだ!』」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

1993年にデビューし、エリザベス女王杯を制したホクトベガ。97年ドバイワールドカップで左前脚を骨折し安楽死

 最後は悲劇でしたよね。ドバイ(97年ワールドカップ)のレース中の故障で……。ちょうど新幹線に乗ってる時に、FUJIWARAの原西(孝幸)から電話がかかってきたんです。「蛍原さん、ホクトベガ死んだ!」って。原西はそんな競馬好きじゃないのに、僕がホクトベガ好きだから伝えないかんと思って電話してくれたんです。僕が「すごい馬おるで!」と、何回かホクトベガの話をしてましたからね。新幹線のデッキで悲報を聞いて心底ビックリしたことをよく覚えています。

 ホクトベガが活躍した時代は、僕はそのFUJIWARAやナインティナインらと「天然素材」というユニットを組んで活動してました。東京の舞台も多くて、全国を回ってたんです。お客さんはすごく入ってくれてたんですが、僕は「イケてる」とは思わなかった。逆に「ヤバイぞ」と思ってました。カッコええやつもそんなおらんのに、若い女の子がキャーキャー言うてる。「これはおかしい、必ず終わる」と。実力よりも人気だけ先行してる馬みたいな感じで、浮かれることはできませんでした。そんな生活の中で、毎週土日になったら、ダンスとかコントの練習の合間に、競馬新聞をカバンから出してレースの予想をする。それが至福の時でした。

 ここ3、4年は、単勝・複勝の「がんばれ馬券」も買うようになりました。もちろん穴馬券ですが、ホクトベガの頃みたいに「牝馬だから弱い」こともないし、むしろ強いくらいですから、とくに牝馬を狙うということはしません。馬券の収支は、今年はここまでチャラくらいかな。いい感じです! 今年みたいに、自分が「ワチャワチャ」してる時の方がよう当たるかもしれないですね(笑)。

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