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“才能溢れるナイスガイ”木下雄介投手の早すぎる死…スクープの陰で問われる「静かにお別れする権利」と報道の自由

posted2021/08/12 06:00

 
“才能溢れるナイスガイ”木下雄介投手の早すぎる死…スクープの陰で問われる「静かにお別れする権利」と報道の自由<Number Web> photograph by KYODO

3月、オープン戦に登板した中日の木下雄介投手

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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KYODO

 現役のプロ野球選手が亡くなるという、あまりにも悲しいニュースが飛び込んできたのは8月6日。中日ドラゴンズの木下雄介投手が息を引き取った。まだ27歳だった。

 筆者は4月に木下さんのことを記事にしたばかりだった。3月21日の日本ハムとのオープン戦(バンテリンドーム)での投球中に、右肩を脱臼。4月9日に同箇所の修復術とともに、かねてより部分損傷があった右肘靱帯の再建術(いわゆるトミー・ジョン)も同時に受けた。手術か、保存療法か。難しい決断に至る過程で、同じ故障を経験した「悲劇のエース」中里篤史さんにオピニオンを仰いだという話である。

 手術に踏み切った木下さんは、完全復活するその日のために、地道だが苦しいリハビリメニューに取り組んでいた。その矢先の訃報だった。

「どんなときも仕事を休んだらあかん」

 不器用ゆえの波乱に満ちた野球人生。大阪で生まれ、高校は徳島県の生光学園に進学。甲子園には手が届かなかったが、駒大に進んで才能を磨くはずだった。ところが故障もあり退学。一時は野球から離れていたが、再起を期し、第二の故郷である徳島インディゴソックスに入団した。育成ドラフト1位で2017年に中日入り。翌18年3月に支配下登録を勝ち取った。

 真っ向から投げ下ろすストレートには威力があり、現役時代に「火の玉ストレート」が代名詞だった藤川球児さんも、ポテンシャルの高さを認めていた。武器となる変化球を手に入れるため、ダルビッシュ有の動画からヒントを探り、今春の沖縄キャンプではつてを頼って田中将大にスプリットの教えを請うた。昨シーズンはプロ初セーブも挙げた。リハビリの先に、再び道が開けているはずだったのに……。

 2019年7月には父・隆さんが交通事故で亡くなった。しかし、その翌日も木下さんは球場にいた。「どんなときも仕事を休んだらあかん」が父の口癖だったからだ。登板37試合。勝ち負けはなく、1セーブ、1ホールド、防御率4.87。これが木下さんの最終キャリアになってしまった。

 名古屋市営地下鉄のナゴヤドーム前矢田駅付近にある「ドラゴンズロード」に掲示されている木下さんの写真パネルには、ファンがメッセージを書いたたくさんの「付箋」が貼られた。8月7日の東京五輪決勝で勝利した侍ジャパンの大野雄大は、メダルセレモニーで金メダルを天国の木下さんに見せるためにかざし、勝利を報告した。チームはエキシビションマッチの前に黙祷を捧げ、ベンチには木下さんのユニホームを飾った。登板した小笠原慎之介は木下さんが使っていた登場曲、湘南乃風の「黄金魂」をかけて1回のマウンドに上がった。

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