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「アンチ高野連」を利用したキャンペーンに女子高野連が激怒… 高校女子野球を税金で支え続けた丹波市との関係 

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飯沼素子

飯沼素子Motoko Iinuma

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posted2021/06/09 17:01

「アンチ高野連」を利用したキャンペーンに女子高野連が激怒… 高校女子野球を税金で支え続けた丹波市との関係<Number Web> photograph by Motoko Iinuma

全国大会を手弁当で支える丹波市の皆さん。球場は毎年選手と地元民でごった返す

春夏2つの全国大会を税金で支え続けた丹波市

 資金もない、高野連や世の中の理解も進まないなか、女子高校生の硬式野球に救いの手を差し伸べたのが、兵庫県市島町(現丹波市)だった。四津の理念に共感した同町在住の堀秀政の発案で、町おこしを兼ねて女子高野連と共催する春の選抜大会を創設したのだ(2000年)。

 04年には関東で行われていた夏の選手権大会も誘致し、それから13年までの10年間、丹波市は春夏2つの全国大会を税金で支え続けた(14年からは春の選抜大会は埼玉県に移転。北日本などへの競技の普及が目的)。

 徐々に地域に浸透していく大会を見ながら、それでも女子高野連のなかには「決勝を甲子園で」と願う人々がいた。「女子のレベルを世間に知らせたい」というのがその真意だ。

 04年に四津に代わって第2代事務局長に就任した堀もその一人で、年に1回ほど高野連に顔を出しては、情報交換がてら田名部に甲子園出場の可能性を尋ねた。が、返事はいつも「もっとチーム数が増えないと」というもの。

規制の多い日本学生野球憲章とは無縁の世界がある

 06年には「甲子園に出るためには、高野連に加盟しなくてはいけないのか」と聞いたが、

「最初から日本学生野球憲章の縛りのもとでやるのは、女子にとって難しいのではないか。しばらく制約のない中で底辺を少しずつ広げ、ある程度目途がついたところでまたご相談ください、と申し上げた記憶があります」(田名部)

 後日送られてきた高野連の正式な返事も、「脇村春夫会長も貴殿らのご努力に理解を示されたものの、現状の活動内容からして、加盟を検討するには時期尚早との見方を示されていました」というものだった。

 そして「あくまでも一つの参考資料として」と断ったうえで、全国高等学校体育連盟(高体連)の新規加盟基準を同封してきたのである。女子の扱いに困ったからではなく、規制の多い日本学生野球憲章とは無縁の世界があることを、田名部は教えたかったのかもしれない。

【次ページ】 「きっと市島を女子野球の聖地にしてみせる」

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