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33歳元Jリーガーが重量級プロボクサーに転身…野洲の衝撃、10年前の挫折、リベリアから亡命「やっと燃え尽きる場所が見つかった」 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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posted2021/04/28 17:02

33歳元Jリーガーが重量級プロボクサーに転身…野洲の衝撃、10年前の挫折、リベリアから亡命「やっと燃え尽きる場所が見つかった」<Number Web> photograph by Shimei Kurita

プロボクサーに転向したハウバート・ダン。井上尚弥らが所属する大橋ボクシングジムで汗を流している

「あの時の多々良サッカー部はまさに軍隊(笑)。上下関係も絶対で、監督の前では常に直立不動でした。だから、自由な雰囲気でミーテイングをしている野洲高校をみて衝撃的でした。『これ、本当に同じ高校の部活なの』と。それでも振り返ってみれば、高校時代は最高でしたね。俺たちはどこよりも厳しい環境で厳しい練習してきた。だから負けたらもったいない。絶対に勝つんだ、という一体感があった。苦しかった分だけ、振れ幅が大きかったんですよ。あれだけ必死に何かに取り組んだのははじめてで、その感覚が心地良かった」

 結果的にみれば、ダンのキャリアは高校時代がピークだったのかもしれない。愛知学院大学に進学後は、2009年に特別指定選手として京都サンガF.C.と契約し、10年にはプロとしてデビューしている。だが、Jリーガーとしてのキャリアはわずか11試合に留まった。

 当時の京都は前線に柳沢敦やディエゴ、工藤浩平ら豪華メンバーが顔をそろえ、さらにはユースに所属していた高校生の久保裕也も頭角を現しつつあった時代。ダンは彼らの牙城を崩せず、満足な出場機会を得られない日々が続いた。

 練習中は不貞腐れたかのような態度をみせ、コーチらの助言は右から左へと聞き流すこともあったという。首脳陣との溝は深まっていき2年で京都を放出されると、期限付き移籍したJFLでも一度も公式戦に出場することなくユニホームを脱いでいる。

「メンタルが弱かった」

「プロアスリートとしては致命的にメンタルが弱かった。それに尽きます。選手としての能力や技術はJ1でも充分に通用するという手応えはあった。でも、どれだけアピールしても使われない。その理由がわからないわけで、納得できないから反発する。親身になってくれる人の前でも、露骨にイラッとした態度をとっていました。

 そんなサイクルを繰り返していくうちに、どんどんサッカーが嫌いになっていって。練習も身が入らなくて、逃げるように夜遊びを繰り返しました。サッカーを辞めたい、と毎日考えていた。京都での2年間を真摯に向き合い、乗り越えていたら、今でも現役を続けていたんじゃないかとも思う。同級生はほとんど引退しましたが、僕の場合はたぶんこの年でもやれていたんじゃないか。社会人になっていろんな経験をしましたが、そんな考えが頭の片隅から消えてくれなかった」

 引退後は華やかな世界から一転して、陽の当たらない場所をもがくように歩いてきた。心を病み、1年間の引きこもり同然の生活を余儀なくされた。アパレルのモデル、銀座や六本木のバーなど職を転々とするが、ダンにとってはどれも心底打ち込めるものではなく、長続きしなかった。

「みんなどこかで折り合いをつけて生きている。なぜ自分はそうでないのか」

 心に残ったわだかまりは消えることなく、更に大きくなっていった。

【次ページ】 日本に来た理由は「亡命」

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ハウバート・ダン
京都サンガF.C.
大橋ボクシングジム

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