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【デビュー40年】「こいつは命張ってるな、と」 “本人”が語っていた初代タイガーマスクとD・キッド、小林邦昭の“本当の関係” 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2021/04/23 17:02

【デビュー40年】「こいつは命張ってるな、と」 “本人”が語っていた初代タイガーマスクとD・キッド、小林邦昭の“本当の関係”<Number Web> photograph by AFLO

1981年4月23日に初代タイガーマスクはダイナマイト・キッドとの試合で衝撃のデビューを果たした

小林邦昭が大スターになった佐山に感じた焦り

 ダイナマイト・キッドがタイガーマスクのブレイクのきっかけを作った男なら、その魅力をさらに引き出したライバルが、小林邦昭だった。

 小林にとって佐山は、新日本プロレス道場で仲の良かった後輩。同時期にメキシコ修行を経験した戦友でもあった。しかし82年10月、小林が長期にわたる海外遠征から凱旋帰国すると、佐山はすでにタイガーマスクとして大スターとなっており、二人の間には大きな格差が生まれていた。当時のことをインタビューした際、小林はこう語っている。

「僕の帰国第1戦のとき、ちょうど長州力が藤波(辰巳・当時)さんに対して『俺はおまえの咬ませ犬じゃない!』と発言して造反したんですよ。あれが僕の心に火をつけましたね。仲の良かった佐山は、いまや猪木さんを超えるほどの大スターだし、半年ぐらいメキシコで一緒だった長州も、あの発言以降、時の人になって違う次元にいった。それに対し、僕は帰国しても単なる中堅で何もなかったから、『自分も何かアクションを起こさないと、このまま終わってしまう』と焦りがあって。その矛先を向けるのは、大スターとなった佐山しかいなかったね」

覆面をビリビリに引き裂いて剥ぐという暴挙

 小林は82年10月22日の広島大会で、レス・ソントンとの試合を前にしたタイガーマスクを急襲。それを受けて、翌週26日に大阪府立体育会館で初の一騎打ちが組まれると、ラフ殺法で攻め立て、ついにはタイガーの覆面をビリビリに引き裂いて剥ぐという暴挙に出た。当時、覆面レスラーのマスクに手をかけるというのは、暗黙のタブー。それを子供たちのスーパースターであるタイガーマスク相手に堂々と行なったことで会場は騒然となり、なによりもテレビの前の視聴者に強烈なインパクトを与えた。

「マスク剥ぎというのは、覆面レスラーの本場であるメキシコマットでも一番観客が興奮する行為。だから、あれは試合前から狙ってましたよ。しかもタイガーの覆面は神聖なものと思われていたから、そのタブーを破った効果は絶大でした。あれからは僕は“虎ハンター”と呼ばれるようになって、何十年も経ったいまでもそう呼ばれるわけだからね」

【次ページ】 手紙には真っ赤な字で『死ね』って書いてあったり

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