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布団に火まで…高校での壮絶イジメを乗り越え、MLBでブルペン捕手として掴んだチャンピオンリング3つ「環境を変えることも大切」 

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高木遊

高木遊Yu Takagi

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photograph byTaira Uematsu

posted2021/04/04 11:01

布団に火まで…高校での壮絶イジメを乗り越え、MLBでブルペン捕手として掴んだチャンピオンリング3つ「環境を変えることも大切」<Number Web> photograph by Taira Uematsu

2005年からブルペン捕手としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツの一員となった植松泰良氏。チャンピオンリング3つは日本人最多である

藪恵壹が加入「絶対にメジャーで働きたいです」

 在籍3年目の2008年にはさらなる転機が訪れる。

 阪神でエースとして活躍した藪恵壹がジャイアンツに移籍してきたのだ。植松はそのチャンスを逃すまいと、「藪選手がメジャーに残った時には通訳をやりたいです。ブルペンキャッチャーもバッティングピッチャーもできる。絶対にメジャーで働きたいです」と首脳陣に猛アピール。その熱意が実り、念願のメジャー昇格を果たした。

 藪は翌年にチームを去ったが、以降も植松は最高峰の舞台で役割を与えられ続け、10年・12年・14年にワールドシリーズを制するチームの一員として貢献。日本人最多となる3つのチャンピオンリングを保持している(ちなみにジャイアンツでトレーナーを務める小川波郎氏も植松氏同様に3つのリングを手にしている)。

 植松の頭にあるのは「信用を勝ち取るのは難しいが、信用を失うのは簡単だ」という高校時代の監督の言葉だという。どんな小さな仕事でも丁寧に大事にやってきた自負がある。その積み重ねと仕事を楽しむことの両輪がしっかり回っていたから、ここまで駆け上がれた。

「自分の好きなこと、楽しいと思っていたことを仕事にできていますから、この仕事もやっている間に実力がついてきたのだと思います。“上手だから”だけで就けた仕事だとは思っていません。人間関係や当たり前のことを当たり前にしていたこと、飽きを見せずにやってきたことが良かったのかなと思います」

サイ・ヤング賞投手の優しさに感銘

 また、一流のメジャーリーガーたちの振る舞いからも学ぶことは多い。「人間性も持ち合わせていなければMLBに行けない」と植松は確信を持っている。

 中でも印象に残っているのはサイ・ヤング賞左腕のバリー・ジトだ。ジャイアンツ時代は年棒に見合う活躍はできず、ファンやメディアからは批判されていたが、植松の良き相談相手で今でもコミュニケーションを取る間柄だという。

「彼はどん底の状態であろうと球場にいる時は、弱音や悪口も言わず、常に前向きなことを口にしていました。自分のことだけではなく、人のことにも気を配れて、最後には自らも活躍してワールドチャンピオンに大きく貢献しました。その時は自分のことのように嬉しかったです」

 植松が肘を痛めていた時には、ジトに「朝食でも食べに行くか」と食事に連れ出され、「予約してあげるから行ってきなよ」と自らが通う治療院を紹介してもらった。「痛いと言ってしまえば、代わりはいくらでもいると思います」と説明するように、チームに報告すれば、植松の居場所はいつ奪われるか分からない。ジトが植松を外へ連れ出したのは、そんな経緯を把握した上での優しさだったのだ。しかも、その治療費はジトがすべて負担したという。

「あれだけの投手なのに、ブルペンキャッチャーの肘のことまで気にしてくれる。自分もそういう人間になりたいと思いました」

 当初は、「今度はアメリカ人にイジメられるんじゃないか」と言い放った同級生に対しての「見返してやる」という気持ちが原動力だったが、今では「チームの勝利により貢献したい」という思いが強い。今後はよりチームの勝利に近い立場である作戦コーチなどの仕事に就きたいという新たな目標も見つかった。

 もちろん、「常に自分の100%の力を注ぎこんで集中する。そこで成功を収めていけば、次の仕事も見えてくると思います」と、これまでの仕事にも全力で取り組んでいくことに変わりはない。

【次ページ】 環境を変えることも大切なこと

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植松泰良
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