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【85歳に】長嶋茂雄が“非情な名監督”に成長したきっかけとは? 松井秀喜との縁、稲尾和久が恐れた異次元ぶり

posted2021/02/20 11:03

 
【85歳に】長嶋茂雄が“非情な名監督”に成長したきっかけとは? 松井秀喜との縁、稲尾和久が恐れた異次元ぶり<Number Web> photograph by Koji Asakura/Masahiko Ishii

2月20日で85歳の誕生日を迎える長嶋茂雄

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NumberWeb編集部

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Koji Asakura/Masahiko Ishii

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は2月20日に85歳となる長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)にまつわる5つの言葉です。

<名言1>
川上(哲治)さんがそうだったように、監督はある意味、非情な別世界の人間にならなくちゃいけない。
(長嶋茂雄/Number964号 2018年10月25日)

◇解説◇
 勝負に温情は不要だ。選手は道具であり、道具への温情は監督にとって捨て去るべき不要な感情である、と長嶋は説いた。

 そんな長嶋も、現役時代は冷徹な監督を嫌っていたという。引退後すぐに就任した第1次政権の時は川上が築いた確率野球を手放し、チームを再編。「選手に慕われる監督になりたい」という情が采配にもにじみ出て、75年シーズンは球団創設以来初の最下位に終わっている。翌年から「勝つ野球」にシフトしてリーグ連覇を達成するも、その後は優勝から遠ざかり、80年に退任。最後のシーズンは「やっぱり長嶋を作りたいですよ。もう一人の長嶋を」と呟いたほど傷心していたという。

 第2次政権が始まるのはそこから13年後の1993年。長嶋はこの失敗を糧に、非情な名監督へと成長していくのだった。

松井秀喜との巡り合わせ

<名言2>
あなたは、間違いなく、現代で最高のホームランバッターでした。
(長嶋茂雄/Number PLUS 2013年6月20日発売)

◇解説◇
 1992年10月、巨人の監督復帰が発表された長嶋。それから1カ月後に開かれたドラフト会議で、いきなり超大物を引き当てた。4球団競合の末、交渉権を獲得した星稜高校・松井秀喜である。満面の笑みでガッツポーズを見せた長嶋は、期待を込めて色紙にこんなメッセージを送っている。
「松井君、君は巨人の星だ。ともに汗を流し王国を作ろう。熱い期待を込めて待っている」

 熱いエールを贈られた松井も、プロ入り後初のキャンプからいきなり場外弾を放つなどスケールの違いを見せつけ、瞬く間に球界を代表するスラッガーへと駆け上がっていった。長嶋も第1次政権ではなし得なかった日本一に2度も輝くなど、松井とともに充実の時間を過ごした。

 それから21年後の2013年4月、長嶋と松井は揃って国民栄誉賞を受賞。愛弟子の松井に対し、最高の賛辞を送った。

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