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坂本勇人の恩師・金沢成奉が「甲子園に取り憑かれていた」から「補欠を作らない」に変わったワケ

posted2020/12/25 11:03

 
坂本勇人の恩師・金沢成奉が「甲子園に取り憑かれていた」から「補欠を作らない」に変わったワケ<Number Web> photograph by Yu Takagi

明秀日立高校を率いる金沢成奉監督。この夏はこれまでの考え方を改める機会となったと語った

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高木遊

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 新型コロナウイルス感染症拡大により長期間の活動自粛や、春夏の甲子園大会の開催中止が強いられた令和2年の高校野球。選手はもとより、各校の指導者たちにも大きな影響を与えた。

 明秀学園日立高校を率いる金沢成奉監督もそのうちの1人だ。光星学院高校(現・八戸学院光星高校)時代には甲子園4強に導き、坂本勇人(巨人)ら多くの選手をNPBに輩出した名将だが、「甲子園に取り憑かれていた」と振り返り、「勝利至上主義からの脱却」と「勝利への執着心」という、一見相反しそうな2つの目標の追求を目指し始めている。

 立ち止まった時間で変化したもの、そして名将が見据える令和の高校野球とは? 全2回の前編(後編へ続く)

◇◇◇

 今夏の高校野球茨城代替大会で、明秀日立は3年生部員全31人を起用した。これは練習試合もままならなかった状況を踏まえ、茨城高野連がベンチ入りの枠を撤廃したことが大きい。人数に制限なく背番号をつけて試合に出場できる方式が採用され、明秀日立はそれを最大限に活用したのだ。

 これまでは試合で起用する選手を固め、練習もその主力選手たちを中心にしたものだった。選手1人あたり実質2年3カ月(高校3年の6月まで)しかない限られた時間の中で、甲子園に行ける・甲子園で勝てるチームを作る「選択と集中」とも言えた。また、それは社会同様の役割分担とも考えていたという。

 しかし、普段なら練習の補助や試合の応援に回る実力の3年生たちの奮闘は金沢監督の心を大きく揺さぶった。指導を改め、「補欠を作らない」ことに重きを置くようになったと語る。ここからは金沢監督の言葉でお伝えする。

【次ページ】 最後までやりきる人間を作る

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