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サッカー王国静岡、苦悩の20年史。
長谷部誠や内田篤人を輩出の一方で。

posted2020/01/23 08:00

 
サッカー王国静岡、苦悩の20年史。長谷部誠や内田篤人を輩出の一方で。<Number Web> photograph by AFLO

藤枝東時代の長谷部誠。ちなみに10番を背負ったのは成岡翔という豪華な陣容だった。

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原山裕平

原山裕平Yuhei Harayama

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AFLO

 今から25年ほど前、大学進学のために上京した筆者が出身地を答えると、「やっぱり、サッカーやってたの?」と、必ずといっていいほど聞かれたものだ。

 そう、筆者は静岡県出身である。

 実際に高校時代はサッカー部だったが、住んでいたところはむしろ野球が盛んな地域(母校は高校3年時に甲子園に出場した)。某サッカー漫画の舞台となったために他県の人には強豪と思われたが、その実、県大会出場が目標の弱小チームだった。

 当然、静岡県民全員がサッカーをやっているはずもなく、そのステレオタイプ的なものの見方は、我々日本人が、ブラジル人はみんなサッカーが上手いと思っているのと似ているだろう。

 なぜ、ブラジル人にそうしたイメージを持っているかといえば、我々がそれ以外にブラジルのことをよく知らないからだ。つまり、他県の人にとって、静岡県にはサッカー以外の印象がなかったのだろう(あとはお茶くらいか……)。

 それは他県の人だけでなく、静岡県民も同じだったかもしれない。我々が誇れるのはサッカーだけ。サッカーこそが、静岡県民にとってのひとつのアイデンティティだったのだ。

 そういう時代だった。

1980~90年代は“王国”だった。

 1980年から90年代にかけて、静岡はまさに“サッカー王国”だった。まだJリーグが誕生する以前、人々が目に触れるサッカーは「全国高校サッカー選手権」であり、そこで静岡県勢が無類の強さを誇ったために、静岡=サッカーというイメージが定着したのである。

 古豪・藤枝東に追随する清水勢が台頭した1980年代。'82年度に清水東が日本一となると、'85年度には清水商が全国制覇を果たした。

 翌年には東海大一が全国優勝を成し遂げ、'88年度には再び清水商が頂点に立っている。'80年代の10年間で、静岡県勢は実に4回の優勝を達成。準優勝も2回を数える。全国で勝つよりも県予選を勝ち抜くほうが難しいとさえ言われるほどだった。

【次ページ】 川口、名波、澤登、伊東輝、小野。

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