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元大関照ノ富士、独白。
苦悩の2年間を乗り越え、関取復帰へ。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byKyodo News

posted2019/12/27 11:50

元大関照ノ富士、独白。苦悩の2年間を乗り越え、関取復帰へ。<Number Web> photograph by Kyodo News

年内最後となる九州場所の13日目。対馬洋を破って幕下で7戦全勝で優勝した元大関の照ノ富士。

「もう1回、あの頃のようにやってみようか」

 気持ちが切り替わったのは、今年の2月から。

 1月の初場所は三段目の下位で、全休。翌3月場所では序二段――番付も体も落ちるところまで落ちた時期でしたが、出場しました。

 体は脂肪だらけになっていて、歩くのもつらいほどでしたけど、そんな状態でもジムには行っていました。この頃はベンチプレスが90キロも上がらなかったんですよ。大関時代は200キロを挙げていたのに。スクワットも昔は320回とかできていたんですけどね……。でも、「もう1回、あの頃のようにやってみようか」と思い直し、日に日にできるようになっていったんです。結果、序二段で7戦全勝し、三段目、幕下と、今年1年で番付が戻って来ました。

 だから、逆に楽しくなってきたんです。

 体がどんどん変わっていく。鏡で見るたびに、ちょっとずつ筋肉がついていくのが目に見えてわかる。

 昔、若い衆の時、日に日に体が大きく、よくなっていく頃の感覚を思い出しました。

「ああ、あの頃も、こんな感じで体がどんどん変わっていったよな」って。

 ちょうどその2月から、約8カ月ちょっとで糖尿病の数値も安定してきていたんです。最悪の時は、血糖値が500ありましたから。それまでは、体がどんどんしぼんできて、腎臓結石もあるから、むくんでもきた。それは寝るのもつらいほどでした。

「もう一回、どこまで通用するのか試したい」

 振り返ってみると、それまでの僕は、お酒を狂ったくらいに飲んでいましたからね。

「体を大事に」とかではなく、もう自分の体じゃないみたいな使い方――飲み方をしていたんです。酒の量は数えられないくらいで、ふたりでシャンパンを40本とか、平気で飲んでいましたから。

 治療に入ってからも、実はストレス発散の意味もあって、お酒を完全に辞めてはいなかった。治療しながらも、ちょっと飲んではいたんです。

 でも、さすがに気持ちを入れ替えてからは、お酒も一切飲まなかった。

 それで体も治り、そこから徐々に体を動かせるようになったんです。自分の誕生日と、再十両が決まった時だけは、飲みましたけど。

 どん底まで落ちて、内臓的な病気も治しながら、少しずつ体も変わっていった。自分の中で、「もう一回、どこまで通用するのか試したい」という気持ちになってもいったんです。どっちみち相撲を辞めることになったとしても、筋トレは続けないと、この膝のケガの痛みはよくならないですし。

【次ページ】 落ちていた時も変わらず応援してくれた人たち。

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