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飛行機墜落から3年、降格で再び涙。
財政難シャペコエンセは甦るのか。
 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2019/12/08 20:00

飛行機墜落から3年、降格で再び涙。財政難シャペコエンセは甦るのか。<Number Web> photograph by Getty Images

浦和レッズが2017年に対戦した際にはシャペコエンセを励ます横断幕も出た。苦境にあるチームだが、復活を期待したい。

小さな町のクラブの理想像だった。

 パラオーロ会長の“革命”によって、クラブを取り巻く状況は一変する。

 2009年に新設されたセリエD(4部)に参戦して3位に食い込みセリエC(3部)へ昇格。2012年にセリエCで3位となってセリエB(2部)へ上がると、翌年セリエBで準優勝して念願のセリエAへ。「わずか5年で4部から1部へ駆け上がった奇跡のクラブ」として、国内はもとより南米中で知られる存在となった。

 シャペコの町は、ブラジル・セリエA20クラブのホームタウンの中で最も小さい。

 大型スポンサーを獲得するのはほぼ不可能で、観客動員にも限りがある。そのような構造的なハンディを抱え、有名選手は1人もいないチームが、サンパウロやリオのような大都市の名門クラブを相手に闘志を剥き出しにしてプレーし、少々不格好でも気持ちでボールをゴールに押し込んで、貴重な勝ち点をもぎ取る。

 その姿が市民を感動させ、子供からお年寄りまで市民の誰もがチームを応援するようになった。クラブが市の最大の誇りとなった。世界中の、小さな町に本拠を置く小クラブにとっての理想の姿が、そこにあった。

南米の名門にも勝てる力をつけたが。

 2014年のセリエA昇格後も少しずつ力をつけ、2015年コパ・スダメリカーナに初挑戦。それだけでも市民にとっては胸躍る快挙だったが、格上を次々と倒してベスト8まで進んだ。アルゼンチンの名門リーベル・プレートと対戦し、アウェーで敗れたがホームで雪辱。ただし合計スコア3-4で惜しくも敗退した。

 そして2016年、同じ大会でブラジルやアルゼンチンの強豪クラブをなぎ倒し、とうとう決勝までたどりついた。シャペコの町は大騒ぎになり、歓喜に沸いた。そんな幸福の絶頂で、世界フットボール史上最悪の悲劇が起きた。

 チームが跡形もなくなり、パラオーロ会長をはじめとするクラブ役員の大半も天国へ旅立った。 

【次ページ】 直後は過去最高の成績を残した。

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シャペコエンセ

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