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ロッテ伊志嶺翔大は、輝きは失わず。
最後は笑顔のヘッドスライディング。 

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永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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photograph byKyodo News

posted2019/12/02 11:15

ロッテ伊志嶺翔大は、輝きは失わず。最後は笑顔のヘッドスライディング。<Number Web> photograph by Kyodo News

雨天中止時だけのお楽しみだった伊志嶺のパフォーマンスも見納め。来季からはコーチとしてロッテを支えていく。

華やかな1年目、ライバルも多かった。

 プロ1年目のシーズン、伊志嶺は126試合に出場して規定打席にも到達した。惜しくも新人王は逃したが、パ・リーグの新人としては1997年の小坂誠以来となる30盗塁(32盗塁)を達成した。しかし、外野のレギュラー定着は容易ではなかった。

 岡田幸文、荻野貴司、角中勝也、清田育宏といった同世代のライバルも多く、日々、鎬を削った。

 2年目の2012年は、開幕こそ一軍で迎えたが極度の不振で5月には2軍降格。ライバル選手の好調もあって、この年、一軍出場は24試合と減少した。

 その後、自慢の足を武器に再度、レギュラー奪取を狙い、2013年は102試合に出場するも、打席数で言えば1年目の492から161に大幅減少。代走および守備固め要員としてベンチを温める日々が続いた。

 それでも彼は陰ながらあらゆる努力を続けてきた。

二軍でも輝きを失うことはなく。

 50m走5秒7はチームでも1、2を争う俊足。それでも飽くなき探求心で、シーズンオフには初動負荷トレーニングをしたり、専門家の指導の下、脳トレを行うなどあらゆる視点、角度から自身のパフォーマンスを上げようと心がけた。

 右大腿部の肉離れで、一軍の出場がわずか3試合に終わった2016年のオフには、自身のセールスポイントである走塁により磨きをかけようと、プロスプリントコーチで知られる荒川優氏に師事。日頃の歩き方、走り方から見直し、欠点の改善を図った。

 一軍での出番は減り、今季に限っては一軍出場がゼロ。だが、二軍で見かける伊志嶺の目からは輝きが失われることはなかった。必ず一軍に上がって、僅かなチャンスでもモノにしてやるというギラギラした目。その闘志が二軍で打席に向かう彼の背中からもヒシヒシと伝わって来た。

 股関節に刺激を与えてから打席に向かうルーティンも、彼を悩ませてきた右大腿部の肉離れの発症を抑えようと考えてのことだった。

【次ページ】 コーチとして「来年こそは優勝」。

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