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“エペの極み”を求めるフェンサー。
見延和靖、東京五輪でまずは金。

posted2019/11/27 07:00

 
“エペの極み”を求めるフェンサー。見延和靖、東京五輪でまずは金。<Number Web> photograph by Shunichi Oda

text by

石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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Shunichi Oda

 フェンシング男子エペのエースが、日本選手で初めて年間ランキングで世界1位を獲得した。2016年リオデジャネイロ五輪では6位に入賞し、昨秋から国際大会のグランプリ大会で2勝、W杯で1勝を挙げるなど、名実ともに日本を代表するトップフェンサーとして活躍している。

 意外にもフェンシングを始めたのは高校生からとスタートは遅かった。

「当初から自分に合っているなと思いましたね。最初はフルーレが主体でしたが、エペに専念しました。全身が有効面で、剣を突いたらポイントが入り、逆に突かれたら相手にポイントが入る。また、二人が同時に突けば両者にポイントが入るルールの明確さが自分に合っていました。その分かりやすさは小学生のときに行っていた空手など格闘技に似ていると思います」

 現在32歳とベテランの域に入っているが、「これからあと10年くらいは競技を続けていきたい」と意欲的だ。フェンシングでは世界に出れば30代の選手はめずらしくない。見延を含め、現在世界ランクのトップ10には複数の30代の選手が並ぶ。シンプルな種目がゆえに、相手との駆け引きや試合の流れを読む力、勝負どころの嗅覚といった長年の経験がものを言う。

世界ランク1位と金メダルは通過点。

「僕が目指しているのは誰も到達したことのない“エペの極み”。その通過点として世界ランク1位もそうですが、東京五輪で金メダルが絶対に必要で実現しないことには絶対王者になれない。日本フェンシング界初の金メダルで弾みをつけたいですね」

 さらに団体戦へも並々ならぬ情熱を燃やす。東京五輪の出場枠は、来年4月の世界ランク4位以内か大陸別のアジア最上位が必須となる。

「より日本代表として戦っている意識になりますし勝った喜びも何倍も大きいので。団体戦でもぜひ勝ちたいですね」

見延和靖Kazuyasu Minobe

1987年7月15日、福井県生まれ。高校時代にフェンシングと出会い、大学でエペに専念。2013年にはイタリアへ単身武者修行。2015年11月に日本男子エペ個人では初のW杯優勝を達成した。'16年リオ五輪では個人戦で6位入賞。W杯個人戦で通算3勝を挙げている。177cm、74kg。

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