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浪商、PL時代に大阪桐蔭vs.履正社。
昭和~令和の大阪・高校野球激闘史。
 

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byKyodo News

posted2019/09/02 08:00

浪商、PL時代に大阪桐蔭vs.履正社。昭和~令和の大阪・高校野球激闘史。<Number Web> photograph by Kyodo News

2017年センバツ決勝で激突した履正社と大阪桐蔭。安田尚憲、根尾昂、藤原恭大らが鎬を削っていた。

PL学園が掲げた「打倒明星」。

 私事で恐縮だが、筆者は1975年に私学7強の1つ、明星高校に入った。明星は1963年夏に優勝して一気に名前が上がった。放課後は校庭での練習を見守り、試合のたびに応援に行ったものだ。

 このころ急成長したPL学園は「打倒明星」を掲げていた。たびたび決勝戦で明星と当たり、敗退していたからだ。

 筆者が高2の1976年、明星とPL学園は準決勝で当たった。今の大阪府大会は鳴り物や派手な応援は禁止されているが、当時はOKだった。

 PLは地方大会にもかかわらず、日生球場の三塁側スタンドを大応援団で埋め尽くし、例の「PL」の人文字と大音量の吹奏楽で明星を圧倒した。夏季講習の気晴らしで三々五々、球場に詰めかけていた私たちはビビりまくった。

 試合は3−1でPLが勝利。熱量の違いは明らかだった。

 私学7強は好素材の獲得合戦でもしのぎを削った。昭和の時代に阪神の強打者として活躍した岡田彰布は明星中学出身だったが、下り坂の明星高校では甲子園出場はおぼつかないと北陽高校に行ったといわれた。

 私たちは当時、学校の帰り道にあった岡田の実家の前を通るたびに「ほんまは明星に行くはずやった」と言いつのったものだ。

ターニングポイントは1973年。

 明星とPL学園は、大阪府大会ではっきりとした覇者交代が起きた。

<大阪府大会での戦績。'78年まで>
 1963年決勝
 ●PL学園 1−4 明星〇(全国優勝)

 1964年決勝
 ●PL学園 0−9 明星〇

 1967年決勝
 ●PL学園 1−11 明星〇

 1969年準決勝
 ●PL学園 1−6 明星〇

 1972年準々決勝
 ●PL学園 2−9 明星〇

 1973年準決勝
 〇PL学園 10−0 明星●

 1976年準決勝
 〇PL学園 3−1 明星●

 1978年準々決勝
 〇PL学園 4−0 明星●

 PL学園は「打倒明星」を果たして大阪私学7強のトップに立つ。そして桑田真澄、清原和博のKKコンビなどずば抜けた素材を擁すると、昭和末期から平成にかけて、黄金時代を築く。

 このPL学園への新たな挑戦者となったのが、大阪桐蔭だった。

【次ページ】 いきなり強くなったPL、大阪桐蔭。

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