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五輪内定、クライミング・野口啓代。
涙の裏にあった、進退をかける覚悟。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO

posted2019/08/25 11:40

五輪内定、クライミング・野口啓代。涙の裏にあった、進退をかける覚悟。<Number Web> photograph by AFLO

競技後には笑顔を見せながらも、時折こみ上げる喜びを噛み締めた野口。

「クライミングのことだけを考えて生きていたい」

「クライミングで強くなるためには(通学は)必要ではない時間だな、毎日クライミングが強くなることとかうまくなることだけ考えて生きていきたいなと思って」

 そして、ボルダリングのワールドカップ年間総合優勝を4度達成するなど、世界有数のクライマーとして活躍してきた。

 迎えた今回の世界選手権で獲得したオリンピックの内定に、野口は涙を浮かべた。

「あと1年、クライミングできることが本当に嬉しいです」

 世界選手権で五輪代表内定が得られなかったら、第一線を退くことを考えていた。代表になるチャンスは世界選手権だけではない。もう1枠は、今後の大会の結果によって決まる。

 ただ、野口は、この大会のことしか考えていなかった。もともと2016年にクライミングの五輪種目採用が決まったときから、競技人生をオリンピックで終えると決め、そこから逆算して進んできた。

ボルダリングの前、不安に襲われる。

 思い描いた設計図の中に、世界選手権でオリンピックを決める、という意志があった。いわば、退路を断って挑んでいたのが世界選手権だった。

 実は1位になったボルダリングの前、不安に襲われていたという。得意とする種目だから、勝負がそこに懸かっていることを自覚していた。そこから生まれたプレッシャーだったのかもしれない。

 だが、いざ試合になると、不安などなかったかのように、高い集中力を発揮した。大学を中退したときの思いが示すように、クライミングに人生を懸けてきた。以前、野口はクライミングへの思いをこう表した。

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