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桐生祥秀が見据える9秒台の先とは。
「究極のかけっこで一番になりたい」

posted2019/08/19 08:00

 
桐生祥秀が見据える9秒台の先とは。「究極のかけっこで一番になりたい」<Number Web> photograph by YUTAKA/AFLO SPORT

日本人初の9秒台ランナーとなった桐生祥秀。1年後の東京五輪へ、さらなる高みを目指している。

text by

小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

PROFILE

photograph by

YUTAKA/AFLO SPORT

平成から令和へ——新時代を迎えるにあたり
今後の夏季・冬季五輪で主役を担うアスリートに話を聞いた。
陸上競技界の顔である9秒台スプリンターは、
昨季の不調を越え、心身両面で新しい試みを始めていた。
笑顔の似合う23歳が秘めた、ハングリー精神に迫った。
Number977号(2019年4月25日発売)の特集から全文掲載します!

 早くシーズンを終えたい——。

 それが昨年秋の、桐生祥秀の偽らざる本音だった。

 昨季、アジア大会でリレーチームの3走として金メダルを獲得したものの、桐生の立ち位置はリレー要員。本職である100mなど個人種目では出場すら叶わなかった。

 タイムを見ても、9秒台はおろか10秒0台の計測も一度もなし。高校3年時からつねに0台で走ってきた桐生にとっては想定外とも言える結果で、傍目から見ても不調に喘いでいるのは明らかだった。

 つまずいた要因はどこにあるのか?

 2年前のシーズンまで時を巻き戻せば、不調に至った原因が見えてくる。

「9秒98」後にあった難しい時期。

「9秒98」

 2017年9月9日、福井で行われた日本インカレ100m決勝で、桐生は日本人として初めて9秒台をマーク。この快挙には陸上ファンだけでなく、多くの人々が熱狂した。

 メディアの取材が殺到し、アスリートに贈られる賞の受賞も相次ぐ。公私ともに多忙を極める中、桐生は10月末までレースに出続けた。学生最後の年、仲間と少しでも長く競技を続けようとした結果だが、冬季練習への移行が例年に比べて遅くなった。そこに落とし穴が潜んでいた。

 冬季の取り組みの成否は、次なるシーズンの結果に直結する。昨年2月にぎっくり腰を発症した影響もあり、桐生は十分に練習を積めたという実感がないままにプロ1年目のシーズンを迎えてしまう。

 春先からいっこうに調子が上がらず、日本選手権はまさかの3位でアジア大会の個人種目出場を逃す。9秒台を出した後、桐生は「今後は10秒台ではため息が出ることになる」と語っていたが、スタジアムの空気はまさにその通りになった。「早くこのシーズンを終えて練習がしたい」と思ったのも、無理はなかっただろう。

【次ページ】 「栄養面、けっこうな進歩(笑)」

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