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<「2019世界柔道」直前インタビュー vol.2>
“リオ組”の現在地。 

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/07/04 11:00

<「2019世界柔道」直前インタビュー vol.2>“リオ組”の現在地。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

左から、男子73kg級・大野将平(旭化成)、男子100kg超級・原沢久喜(百五銀行)、男子60kg級・高藤直寿(パーク24)、女子63kg級・田代未来(コマツ)

タフだった原沢が抱えた葛藤。

 今年2月のグランドスラム・デュッセルドルフ、原沢久喜は3年ぶりの国際大会優勝を飾った。原沢はそれを「再スタート」と言った。リオ五輪100kg超級銀メダリストでありながら、それだけの長いブランクがあったのには理由がある。

 リオでは絶対王者テディ・リネール(フランス)の徹底した逃げの柔道を崩せず銀メダルにとどまった。周囲の期待はすぐに次の東京五輪に向かった。ただし本人の心中には葛藤があった。

「リオの時は1、2年前になってようやく五輪が見えてきて、そこから代表をつかんだ。もう4年と考えると正直すごく長かった。試合に出てやっていこうという気持ちはあったけど、なかなかモチベーションが上がらずに中途半端にずるずるといってしまった」

 リオ五輪の選考レースで先頭を走っていたのは七戸龍であり、途中からそこに加わった原沢は国際大会7連勝など後方一気の末脚でどうにか差し切った。だが、選考の時点から一つの負けも許されない重圧と五輪の緊張感を味わったことで、タフさが売りの原沢も想像以上に消耗していた。徐々にそのダメージが表れ始める。

「普段の練習、試合で心拍数が上がるのが早いなと感じていた。疲れも抜けない。リオ五輪の時に一気に駆け上がったのでその反動は大きかったんじゃないかと思う」

 2017年の世界柔道ではまさかの初戦敗退。結論はオーバートレーニング症候群だった。しばしの休養を余儀なくされた。

プロとして活動していく決断。

 苦境の中で原沢は1つの決断を下した。2018年4月いっぱいで日本中央競馬会を退職し、引退後の生活の保障を捨て、いわゆるプロとして活動していくことを決めたのである。柔道界ではトップ選手のこうした挑戦はまだ少ない。原沢という人間の少しおっとりとした性格を思うと、意外に思える選択だった。

「僕自身、安定志向だったんですけど、五輪を経験したのが大きかった。五輪で勝つにはどうすればいいかを考えた時に生活の100%を柔道に向けたいなと思った。練習でも柔道に対する気持ちでも、普通というか、多くの人に当てはまることをやっていては勝てないなと思った。何か飛び抜けたものがないといけないし、そういう気持ちを持っていないと戦い抜けないなと」

 決断の理由を語る物腰は相変わらず柔らかいものの、発する言葉は力強かった。退社直前の全日本選手権で3年ぶり2度目の優勝を果たすと、前年は初戦敗退だった世界柔道でも銅メダルを獲得。選んだ道は復活へと続いていた。

「今年は東京五輪の1年前に、東京で、五輪と同じ日本武道館が会場になる。ここでしっかり優勝できると一層自信がついてくる」

 頂点を目指したとき、人とは違う道を選んだ覚悟がきっと心の支えになる。

【次ページ】 高藤「結果で見せつけたい」。

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