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カズ、ピクシーが信頼する名コーチ。
喜熨斗勝史の中国育成改革・前編。 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/05/26 11:00

カズ、ピクシーが信頼する名コーチ。喜熨斗勝史の中国育成改革・前編。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ストイコビッチ監督とコミュニケーションを図る喜熨斗勝史。中国という地でサッカーの知見を得ようとしている。

「日本のスタイルを取り入れたい」

 突然の依頼に驚いたが、喜熨斗はすぐに受諾した。選手としてJリーグ経験はなく、引退後はベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)のフィジコとして指導者歴をスタート。その後、セレッソ大阪、浦和レッズ、大宮アルディージャとフィジコとして研鑽の道を進み、コーチとして横浜FC入り。Jクラブの監督が務められる日本サッカー協会のS級ライセンスも取得している。

 プロクラブでの豊富な経験、そしてカズの肉体作りに携わってきた過去はあったが、本格的に責任者として育成に関わるのは初めてだった(名古屋時代にユース部門の役職を兼務した経験はあり)。

「自分にとっては新しい挑戦でした。中国人は、Jリーグの育成モデルが素晴らしいということは理解しているので、その方法論を是非導入したいということでした。中国リーグはこれまで、クラブに育成部門を組織することをマストとしていなかったので、資金に余裕のあるクラブだけが独自でチームを形成していました。ただ、ようやくリーグ全体でも育成に目を向ける意識が生まれ、今ではリーグ加入の必須な条件となりました。

 他のクラブを見渡すと、例えばドイツ人やスペイン人、イングランド人の指導者を育成部門に招聘しているところもある。そんな中で、広州富力には日本人の私がいたので、日本のスタイルを入れたいということでした」

14億人の大国が真剣に育成したら。

 まさに寝耳に水の依頼だった。ただ中国サッカーの中で不整備な部分でもあったため、イチから何かを構築する意味では非常に意義のある仕事だった。それは喜熨斗自身にとっても、有意義だと感じたという。

「自分の中で、いつかは監督やチーム統括といった仕事をしてみたい思いはありました。それに、僕が描いていた育成組織のイメージもありました。僕自身がそれほどいい選手ではなかったからこそ、育成には良い指導が不可欠だと自分が痛感していた。

 ピクシーのような生まれ持っての天才は別にして、これからは確実に良い選手を生んでいくアカデミーが重要になる。それが中国でやれるところにも、面白みは感じました」

 中国全体で高まる、育成熱。現在約14億人の人口を誇る超大国が、真剣に人材を発掘し育てることに注力したその未来を想像すると、可能性は計り知れない。

【次ページ】 非常に軽薄な条件を提示されて。

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