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元・若乃花と小錦が語る平成3年、
大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2019/04/30 09:00

元・若乃花と小錦が語る平成3年、大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

相撲ブーム真っ盛りの頃の若花田(左)と貴花田。日本列島が2人の取組を固唾をのんで見守った。

若乃花の相撲IQはすごく高かった。

 小錦をして「相撲IQがとんでもなく高い。天才だ」といわしめる元若乃花はいう。

「本場所の土俵で対戦して劣勢な時に、『どうやって勝てばいいかな、どこが弱点かな』と考えているんです。もちろん勝つ気で戦ってはいますけど、最初に小錦さんに当たった時なんて『これは、まだ勝てないな』とわかってしまうもの。

 だから、どうやったら勝てるんだろうと、ほんの数秒のなかで探って、体で覚えるんです。ハワイ勢は突っ張りのリズムが違うし、当たってからバーン! と爆発するような衝撃がある。稽古は稽古。稽古場は心臓と体を鍛える場所でしかない。もちろん研究もし、過去の力士たちのVTRを、暇さえあれば観ていました。もし相撲が体重別だったら僕は100回くらいは優勝していたかもって思っていますよ(笑)」

曙、若貴兄弟による優勝決定戦。

 貴花田は平成5年3月に大関に昇進し、貴ノ花に改名。時を同じく、横綱に昇進したのが2mを超える身長の同期生・曙だった。

 同年の7月場所では、横綱曙、大関貴ノ花、関脇若ノ花(当時)による優勝決定戦は巴戦となった(曙の優勝)。平成7年1月には貴乃花が、平成10年7月には若乃花が横綱に昇進。史上初の兄弟横綱が誕生すると、大相撲ブームは最高潮に達する。枡席は「プレミアチケット」として高騰し、高額で取引された。本場所後の巡業スケジュールもみっちりと――全国津々浦々、もみくちゃにされるほどに人が押し寄せた。人気は国内にとどまらず、毎年の海外公演もあった時代だ。

 先の優勝決定巴戦以来、貴乃花引退の平成15年1月までに区切ると、決定戦は実に16回を数える。平成8年11月場所は、史上最多の5人による決定戦で、大関武蔵丸が賜杯を奪取。横綱曙、大関若乃花、大関貴ノ浪、関脇魁皇(当時)が互いに星をつぶし合い、11勝4敗という成績での優勝争い。まさに「大相撲戦国時代」でもあった。

 そして平成11年7月には武蔵丸が横綱に昇進し、4横綱時代が訪れる。しかし平成12年3月に在位11場所で若乃花が引退。平成13年1月には、「若貴のふたりがいなかったら横綱になれなかった」との言葉を残し、曙が引退する。ちなみに貴乃花との幕内対戦成績は、21勝21敗と五分であった。

【次ページ】 曙が語った「負けてたまるか」。

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