【NSBC補講I】 池田純のスポーツビジネス補講BACK NUMBER

DeNA球団社長時代の池田純が、
自腹で自宅にブルペンを作った理由。

posted2019/01/07 07:00

 
DeNA球団社長時代の池田純が、自腹で自宅にブルペンを作った理由。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

筆者は球団社長時代、グラウンドに下りて選手の目線に立つことを心がけていたという。

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池田純

池田純Jun Ikeda

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 私が横浜DeNAベイスターズの球団社長になってから、一生懸命取り組んだことのひとつに、「キャッチボール」があります。

 不思議に思われるかもしれませんが、プロ野球、ひいてはスポーツビジネスに関わる仕事をはじめた私にとって、それは経営やビジネスと同じくらいとても大切なことだと考えていました。

 体力と運動神経には、もともと自信がありました。中学時代は競泳で全国大会上位に残るレベルまで没頭していました。しかし突然の怪我で競技人生を断念することになり、その後はそれなりのレベルでマリンスポーツをはじめとした幾つかのスポーツを趣味にしています。

 経営者としての自分の強みは、そのスポーツを実際にやることで体感的に「知ることができる」ことだと考えています。だからこそ、野球の基本であるキャッチボールだけはまず、絶対にきちんとできるようにならなくてはならない、と思っていました。

 当然ながら、プロ野球選手のキャッチボールはレベルが違います。選手からは「プロ野球の会社の社長なんだから、かっこよくキャッチボールくらいできないとダメですよ」と冗談半分で煽られたりもしましたが、それはある意味本質的なことを言われているように感じました。立場や役割は違うけども、野球の世界での共通言語は野球なんだ、と。

プロ野球の職員は一人二役。

 球団社長になってすぐの春キャンプのときに、高田繁GM(当時)から、「プロ野球球団で仕事する職員は、全員がそれぞれの仕事をしながら、野球の練習も手伝うものだ。一人二役ができなくてはならない」と教えていただきました。そしてその場でキャッチボールの基本を教えられました。

 その後も、選手の邪魔にならないよう、練習後の誰もいないグラウンドで、元選手だったマネージャーはじめ裏方さんと練習を密かに続けたのです。

 何年後かには、中畑清監督(当時)の宮崎でのフェニックス・リーグ視察に同行した際、監督のキャッチボールのお相手をさせていただいたことがありました。「社長もきちんと投げられるようになった」とものすごくうれしいご評価をいただいたとともに、お相手できたことで、「一人二役」の必要性を実感したものです。

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