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甲子園の「史上最高の試合」とは。
39年前の箕島-星稜伝説が甦る。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2018/07/19 17:00

甲子園の「史上最高の試合」とは。39年前の箕島-星稜伝説が甦る。<Number Web> photograph by Kyodo News

箕島が春夏連覇に至る過程、3回戦での激闘だったが、延長に入り2度、二死走者なしからの同点劇など、多くのドラマ性があった。

敗戦インタビューを考えていた尾藤監督。

 二死走者なし。絶体絶命。春夏連覇が夢と消え、チームを牽引してきた上野山主将が敗戦の責を負うことになる。運命の打席に向かいかけたところで、嶋田はきびすを返した。

 心の中で「打ってやる」と誓うのでも「最後くらい思い切り狙ってもいいですよね?」と監督に願い出るのでもなく「打ってきます」というのは宣言であり予告。そして2球目のカーブ。「見逃せばボールだったと思う」という高めをたたいた。「ライナーだったから入ったところは見ていないんですよ。フェンスに当たるかもしれないし、全力で走りました」。ラッキーゾーンの金網によじ登った左翼手・金戸浩のグラブの先に、打球は飛び込んだ。

 テレビ中継の画面で「尾藤スマイル」が印象的だった尾藤公監督は、すでに「敗戦インタビューのコメントを考えていた」と生前、語り残した。それを捕手の嶋田は感じ取っていたのかもしれない。センバツを終え、春季近畿大会を終えたあたりで尾藤監督と打順について話し合った。

「たしか近畿大会では3番を打っていたんですが、僕は自分で『1番がいいと思います』って言ったんです。上野山を3番に置けるし、こう見えても当時の僕は走るのも速かったんです(笑)」

 珍しい捕手の1番打者がこうして誕生した。

高校、社会人、代表、プロでタイトルを。

 余談だが、嶋田ほど「勝ち運」をもった野球選手はいないのではないか。高校では春夏連覇、社会人(住友金属)では日本選手権、都市対抗を制し、日本代表ではロサンゼルス五輪(公開競技)で金メダルに輝いた。

 阪神に入団すれば選手として1年目に日本一、引退後もコーチとして2003、2005年のリーグ優勝に携わっている。さまざまな優勝メダルはもちろん、先の「最高試合」も額に納められ、あらゆる栄光の証しは大切に保管されているそうだ。

【次ページ】 エネルギー補給に、後攻の高勝率。

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