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七転八起のスケート人生に終止符。
村上大介はなぜこれほど愛されたか。

posted2018/06/25 10:30

 
七転八起のスケート人生に終止符。村上大介はなぜこれほど愛されたか。<Number Web> photograph by AFLO

異色の経歴ながら日本を代表するスケーターとなった村上大介。今後も発展に尽くしてくれるはずだ。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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 6月14日、フィギュアスケートの村上大介(陽進堂)が自身のYouTubeチャンネルで現役引退を発表した。

 振り返ると、異色の経歴を持つ選手だった。

 ジュニアまでは生活を送っていたアメリカで競技に打ち込み、2006年の世界ジュニア選手権にはアメリカ代表として出場した。

 転機は浅田真央との出会いだった。村上はラファエル・アルトゥニアンコーチに師事していたが、2006年、浅田がアルトゥニアンのもとへと拠点を変え、一緒に練習するようになった。

 そのとき、浅田の母から、「才能があるんだから日本代表になった方がいい」というアドバイスを受けた。

 村上は日本で活動していくことを決意すると、2007-08シーズンから日本で選手登録を行った。

右肩脱臼、2年ぶりのNHK杯で渾身の演技。

 だが、その道のりは順風満帆とはいかなかった。

 2009年の全日本選手権で16位。その後、7位、6位とステップアップし、国際大会でも少しずつ成績を残していったが、2012年のNHK杯ショートプログラムの際に、ジャンプで転倒。右肩を脱臼し、棄権せざるを得なくなった。その後は手術とリハビリに取り組み、2013-14シーズンはGPシリーズに出場することはなかった。

 しかし、そのままでは終わらなかった。

 2014-15シーズン、開催国枠で2年ぶりにNHK杯に出場すると、まさに「渾身の」演技を見せた。

【次ページ】 アクシデントに泣かされた競技人生。

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