ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
本当はキン肉マンになるはずだった、
スーパー・ストロング・マシン引退。
posted2018/05/22 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
新日本プロレス所属の覆面レスラー、スーパー・ストロング・マシンが現役を引退する。2014年から体調不良もありリングから離れていたが、今回ケジメをつけるべく正式に引退を表明。「今のコンディションでは、リングに上がることはできない」という本人の意向もあって、引退試合は行わず、新日本の6.19後楽園ホール大会で引退セレモニーが行われる。
マシンは'84年に“悪のマネージャー”将軍KYワカマツ率いるストロングマシンとして新日マットに登場して以来、途中一時期素顔でファイトすることはあったが、30年以上にわたりマスクを被り続けたヘビー級覆面レスラーの第一人者。
選手の出入りが激しい新日本プロレスを、長年ベテランとしてさまざまな形で支えてきた同団体の現役最古参であるが、若い頃は自ら行動することでレスラー人生を切り開こうとする独立精神旺盛なレスラーでもあった。
「平田だろ、おまえ!」の反骨人生。
比較的若いファンには、'85年に藤波辰爾から「平田だろ、お前!」と公然と正体をバラすマイクアピールをされたり、'94年に蝶野正洋と試合中に仲間割れしてマスクを脱いだ後、「しょっぱい試合ですいません!」と、謝罪マイクを行なったことなど、ネタ的なエピソードで語られることが多い。
そんなマシンの、実は反骨精神に溢れていたレスラー人生を振り返ってみよう。
マシンこと平田淳嗣は'78年に新日本でデビューするが、その前に一度、全日本プロレスに入門している。大仁田厚、渕正信らの後輩で、ジャンボ鶴田にもかわいがられたが、父が脳梗塞で倒れたことでデビュー前に退団。それでもレスラーになる夢は絶ち難く、新聞販売店で住み込みで働きながら、ボディビルで身体を鍛えてチャンスを待ち、当時新日本道場を取り仕切っていた山本小鉄に手紙を書いて、21歳で入門を許された苦労人だった。