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ジェイソン・デイ、父の死と母のがん。
不良少年が世界のトップに立つまで。 

text by

舩越園子

舩越園子Sonoko Funakoshi

PROFILE

photograph byAFLO

posted2017/05/22 08:00

ジェイソン・デイ、父の死と母のがん。不良少年が世界のトップに立つまで。<Number Web> photograph by AFLO

ジェイソン・デイはゴルフ界でも珍しい出自の選手である。そして、彼ほど家族との絆を感じさせる選手も多くはいない。

刑務所ではなく、世界のゴルフの頂点に。

 父と始めたゴルフの世界は、父の死とともに一度は扉が閉ざされ、デイはゴルフからかけ離れた遠い世界にしばらく身を置いていた。

「あのあとゴルフをもう一度始めていなかったら、今ごろ僕はジェイル(刑務所)に入っていたかもしれない」

 デイの居場所を刑務所ではなく米ツアーへ、世界のゴルフの頂点へと変えてくれたのは、母と姉たち。その母が父の命を奪ったのと同じがんになり、緊急手術を受ける。それはデイにとって、自分自身の生死より重い事実だったのかもしれない。

「ヘルシーでハッピーでいられさえすれば」

 デイの母親デニングが暮らすオーストラリア・ブリスベンの自宅を訪ねたことがある。あれはデイがメジャーチャンプになり、世界ナンバー1になる前年、2014年のクリスマスのころだった。

「私は息子がただ健康で、そして幸せであってくれれば、それでいい」

 デニングはメジャー優勝より世界ナンバー1より、「ヘルシーでハッピーでいられさえすれば、それが何よりです」と繰り返していた。言い換えれば、彼女の言葉は「命さえあれば、生きていさえすれば、人間はやり直せるし、出直せるし、幸せにもなれるんです」と言っているかのようだった。

 そんな母の想いを実現するかのように、不良少年からトッププロゴルファーへ転身した息子は美しい妻と結婚し、2児の父親となり、メジャータイトルも世界一の称号も手に入れ、幸せの絶頂へ。

 そこで聞かされた最愛の母の余命1年の宣告は、せっかく開いたドアをまたしても閉ざしてしまいかねない重い重い現実。マッチプレー選手権を途中棄権したデイは、オハイオに飛んで帰り、母親の手術に付き添った。

 そのデイが公けの場に戻ってきたのは4月のマスターズのときだった。母親の手術は大成功だったそうで、オーガスタにやってきたデイは笑顔を輝かせていた。

「化学療法は必要ないとドクターに言われた。神様が『もうしばらく家族で一緒に過ごしなさい』と言ってくれたような気がしている。母の状態が良ければ、もしかしたら週末は母が初めてオーガスタに来て僕がプレーする姿を見れるかもしれないんだ」

【次ページ】 直近の成績なんか、デイにとっては大問題ではない。

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ジェイソン・デイ

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