スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
マニー・ラミレスと高知の春。
寂しがり屋のトラブルメイカー。
posted2017/01/21 07:00
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
AFLO
マニー・ラミレスが高知ファイティングドッグスでプレーすることになった。2013年には台湾の義大ライノズで49試合に出場した経歴があるくらいだから、びっくり仰天ではない。思えば、2011年を最後に大リーグから去ったあと、ラミレスは復帰を模索し、いくつかの3Aチーム(アスレティックスやレンジャーズの傘下)と契約を結んでいた。
いうまでもないが、ラミレスは大選手だった。大リーグ実働19年間で555本塁打(史上15位)を放ち、1831打点(史上18位)を叩き出した。長打率5割8分5厘は史上8位。第二次大戦後に9000打席以上を数えた強打の右打者といえば、アルバート・プーホルス、フランク・トーマス、ウィリー・メイズ、ミゲル・カブレラ、ハンク・アーロンらの名が浮かぶが、ラミレスのOPS+(154)は、彼らにほぼ匹敵する。長打率なら6人のなかで彼がトップだし、出塁率(4割1分1厘)もトーマス(4割1分9厘)に次いで2番目に高い。
理解不能の中継プレーでランニングHRを許したことも。
一方で、ラミレスには奇行が目立った。珍プレーの数も多かった。最もよく知られているのは、レッドソックス時代の'04年7月21日、まったく理解に苦しむ中継プレーを演じて、打者走者(オリオールズのデヴィッド・ニューハン)にランニング・ホームランを許してしまったシーンだろう。
このときニューハンは、ペドロ・マルティネスの球を弾き返して、センター最深部に大飛球を放った。打球は、背走する中堅手ジョニー・デイモンの頭上を越え、フェンスを直撃した。ようやく球に追いついたデイモンは、三塁でニューハンを刺そうと試み、弱肩ながら懸命の返球を見せた。
ところがなんと、デイモンから10メートルも離れていない場所にいた左翼手ラミレスがその球をカットし、この日はショートだったマーク・ベルホーンに転送したのだ。
ビデオを見直すと、腹の皮がよじれそうになる。わけのわからない珍プレーに助けられ、ニューハンはやすやすとダイヤモンドを一周したのだった。