相撲春秋BACK NUMBER
元魁皇・浅香山親方に聞く。
琴奨菊の初優勝と、これから。
posted2016/03/08 12:00
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
JMPA
琴奨菊が、同じ九州出身として幼少の頃から憧れ続け、角界入門後は常に尊敬の念を抱き続けていた存在――それは、11年の長きにわたって大関を張った魁皇、現浅香山親方だった。
2011年7月に魁皇が引退すると、まるで新旧大関交代とでもいうように、翌9月場所後に新大関昇進を決めたのが、琴奨菊でもあった。この頃、琴奨菊は浅香山親方から愛用の黒い博多帯を譲り受けていた。以来、“魁皇”の四股名が刺繍された、年季の入ったその帯を締めて場所入りを続けている。「琴バウアー」と呼ばれる仕切りの際の“ルーティン”と同じく、今もそれは変わらない。
「帯、まだ使ってるって? もうボロボロになってるんじゃないの?」と笑う“元ベテラン大関・魁皇”は、初めて賜杯を抱いた後輩大関をどう見たか。
5度の優勝経験を持ちながらも、ついぞ横綱には手の届かなかった自身の経験を踏まえ、今、浅香山親方がメッセージを送る。その言葉は、琴奨菊のみならず「全力士たちへの、現状からの脱皮へのヒント」ともなっているのだった。
浅香山親方が見守り続けた後輩大関の今、その来し方、行く末について 余すことなく語ってくれた。
琴奨菊は、急に変わった。
初優勝した1月の初場所での琴奨菊は、立ち合いの当たりも違ったし、その後の攻めも速かった。前に出ながら自分の形を作って行き、勢いがあるから相手が残せないんですよね。
本当に急に変わった感がある。その前の11月の九州場所では(※初日から5連勝するも14日目から途中休場)、「ああ、やっぱり……」「またケガしたのか」と思っていたんです。それというのも、「誰が優勝に一番近いか」という話になると、誰の口からも最初に出るのが、成績が安定していて、後半戦まで優勝戦線に絡んでくる稀勢の里の名前でした。琴奨菊は、そこまで行く前に「スタミナ切れ」してしまうんですね。だから優勝候補としては、なかなか琴奨菊の名前は出なかった。
それが先の初場所では、いきなり出だしから元気いっぱいだったんですよね。それでも、どこかで「またスタミナ切れするのでは?」と思ってしまっていたんだけれど。今回はそれがなく、最後までいい相撲を取っていましたよね。