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イラク戦は単なる消化試合ではない。
ドーハで20年前ではなく未来を想う。 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byGetty Images

posted2013/06/11 12:00

イラク戦は単なる消化試合ではない。ドーハで20年前ではなく未来を想う。<Number Web> photograph by Getty Images

ドーハでの練習後、「何があっても、この代表にいる時はしっかり役割を果たすつもり」と語っていた中村。本田、長谷部らが外れるイラク戦でも、当然“勝ち”を狙っていくつもりだ。

 ドーハ国際空港から一歩外へ出ると、まとわりつくような湿気が全身に覆いかぶさってきた。ヨルダンとのアウェイゲーム前に立ち寄った今年3月に比べると、日差しも明らかに凶暴だ。

 ワールドカップ最終予選の最終戦をここドーハで戦う日本代表が、何だかとても気の毒に思えてくる。主審がキックオフを告げる17時30分でも、まだ蒸し暑さはしぶとく居座りそうである。前日練習を終えたハーフナー・マイクは、「後半が始まるくらいの時間から練習をしましたけど、まるで暖房が効いてるみたいでしたね」と苦笑いをこぼした。

 この街に来ると、いつも20年前の記憶がよみがえる。1993年10月に開催された、アメリカ・ワールドカップのアジア最終予選だ。

1993年と2013年。ふたつの“ドーハ”の間にあるもの。

 入社3年目のサッカー専門誌記者だった僕は、先輩に連れられてドーハを訪れていた。日本や韓国など出場6カ国のW杯予選を追いかけるジェットコースターに乗っているような忙しい日々も、今回と同じように夕方のキックオフがお決まりだった。

 無線LANなどというものがなかった当時は、カメラマンが撮影した写真も僕らが書く原稿も、ホテルの部屋から電話回線で送っていた。データが重い写真は時間もお金もかかるので、必要最小限の枚数だけをデータで送り、次の締め切りまでにフィルムをカタールから持ち帰ることになっていた。

 北朝鮮との第3戦を終えた僕は、編集部の2人目の運び役として帰国した。最終戦のイラク戦まで取材したかったが、実は帰るのも悪くないと思った。

 初めて訪れる中東の刺激は薄れつつあり、何よりも日本の先行きが険しかったからだ。3試合を終えて1勝1敗1分の状況から、ワールドカップ出場へ辿りつくのは難しいと見られていた。「韓国とイラクに勝つのは、たぶん無理だろ。帰るにはいいタイミングじゃないの」という同業者の労いを、素直に受け止めていた。

 帰国後にJリーグの会場で会うと、ドーハでともに過ごした方々の視線が冷たい。「なあ、自腹を切ってでも、最後まで残るべきだったんじゃないの」と、責めるような口調で言われたものだった。

“ドーハの悲劇”と呼ばれたあの一戦を、僕は現地で見ることができなかった。「感動をありがとう」という世間の空気に乗り切れず、かといって予選敗退の核心に迫りきれない歯痒さを、ひとりで噛みしめた。

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