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オシムと過ごした50時間、
その豊穣なる矛盾を愉しむ。
~『オシム 勝つ日本』取材秘話~ 

text by

田邊雅之

田邊雅之Masayuki Tanabe

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photograph bySports Graphic Number

posted2010/05/01 08:00

オシムと過ごした50時間、その豊穣なる矛盾を愉しむ。~『オシム 勝つ日本』取材秘話~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『オシム 勝つ日本』 田村修一著 文藝春秋 1333円+税

 田村さんはロストバゲージ。カメラマンのT君は風邪で悪寒に震え、編集担当の僕は機内食にあたって吐き気が止まらない。2008年9月に始まったオシムの取材は、のっけから波乱含みだった。

 しかしインタビュー自体は無事に終了、「オシム・レッスン」と題した連載が決まる。以後、現在に至るまでの50時間、僕たちは彼のサッカー観だけでなく、人間性についても深く知る機会を得た。

 大の日本好き、そして非常な人格者である点は、評判に違わなかった。

 たとえばグラーツの自宅には、浮世絵や役者絵がきれいに飾られているし、アシマ夫人が「大相撲」と書かれたTシャツを着て出迎えてくれたこともある。オシムには心ばかりのお礼に様々な土産品を渡したが、一番喜んだのは鰻の蒲焼でも輪島塗の器でもなく、絶版になった豪華な歌舞伎の写真集だった。

地元のビールを「特製ジュース」と呼ぶ人間臭い素顔。

 人格者であることを示すエピソードは、それこそ枚挙にいとまがない。

 パブのテラスなどで取材をしていると、オシムの周りには自然に人が集まる。サッカー関係者やファンだけでなく、アルコール依存症やホームレスと思しき人が輪に加わることもあるが、ぼろぼろの服を着て地べたに座っているような人が相手でも、オシムは嫌な顔一つせずに15分、20分と根気よく話に耳を傾ける。

 しつこく物を乞われた場合でさえ、その態度は変わらなかった。サラエボ市内には、数名の子供を使って体よく金品をせがむ手合いもいる。しかしオシムは迷わず小銭を渡し、自分の料理を分け与え続ける。アシマさんに諌められても、頑として止めようとはしない。

 かといって、オシムを聖人君子のように捉えるのは誤りだろう。尊敬に値する人物である反面、彼はきわめて人間臭い素顔も持ち合わせている。

 取材が始まった頃は、白ワインをペリエで割ったものを飲んでいたが、いつしか水とアルコールの比率は逆転。最近では、地元のビールを「特製ジュース」と称して美味そうに呷るようになった。

 大変な照れ屋で、写真が嫌いなのも相変わらずだ。T君にプレゼントされた額縁入りの写真を自宅に飾ったりしているのに、カメラを構えた瞬間に表情は一変、険しい目付きでレンズを睨み出す。

 それでいて興が乗れば、茶目っ気たっぷりにサービス精神も発揮する。本書の表紙にも使用された写真を撮影すべく、ペン型の指示棒を渡したときのこと。こちらはオシムが教壇に立つ光景をイメージしていたが、本人はオーケストラの指揮者を連想したようで、僕たち相手に嬉々として“タクト”を振り続け、最後は深々と頭を下げてお辞儀までしてくれた。

【次ページ】 オシムの「矛盾」に日本サッカーを考えるヒントがある。

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