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From:リスボン「自分のクローンが欲しいけれど。」 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byShigeki Sugiyama

posted2005/12/13 00:00

From:リスボン「自分のクローンが欲しいけれど。」<Number Web> photograph by Shigeki Sugiyama

あっちに行ったり、こっちに来たり、色んなところに飛び回る。

そんな時にはこう思う。「自分がもう1人いてくれたら」

でもそれって、無理なわけだし、1人だから味わえることってあるんだよね。

 チャンピオンズリーグ第5週に訪れたマンチェスターだけが例外ではない。欧州は総じて寒い。第6週に訪れたミラノも凍てつくような厳冬だった。つられて僕は、さっそくダウンとセーターを購入。東京の自宅には、この手のモノは腐るほどあるのだけれど、せっかくミラノに来たんだし、寒いんだし、ユーロ高と言ったって、それでも東京で同じモノを買うより、ずいぶんお得なわけだし。

 僕は、僕が1人しかいないことを常々恨んでいる。2人いれば、2倍楽しみが増える。洋服だって2倍買う必然が生じる。食事の楽しみだって2倍増える。何から何までいまの2倍楽しめる寸法だ。

 行動範囲も2倍に広がる。旅行先も2倍に増える。チャンピオンズリーグは各週火曜水曜に、計16試合が行われる。だが、僕が生観戦できるのは火曜、水曜各一試合。計2試合に限られる。行き先には、当然頭を悩ます。観戦する試合が、つまらなかったらどうしよう。面白い試合を見逃してしまったらどうしよう。僕は毎度、恐怖に怯えながら、行き先の選択を強いられている。

 とりあえず、火曜日に見たミラノの一戦は当たりだった。できれば、今季お気に入りのシャルケが、ミランを下してくれれば、申し分なかったのだけれど、ミランをギリギリまで追いつめた展開は上々。読み通りだった。では水曜日、リスボンで行われる試合はどうなのか。たぶん大丈夫だろうと強気を抱きつつも、一抹の心配を抱えながら、僕はミラノ中央駅から出ているシャトルバスに乗り、ミラノ・マルペンサ空港に向かった。

 町中は、飛行機は無事飛び立つのか心配になるほど濃い霧に覆われていたが、郊外に出ると途端に良好な視界が広がった。抜けるような青空。遠くには真っ白な雪を頂くアルプスの山々さえ望むことができた。

 サッカーの取材ではなく、ウィンタースポーツの取材に来ている気分だった。セーターを着て、ダウンを着て、靴底の厚いシューズを履いて、雪の上をサクサクと歩くあの感じが、妙に恋しくなった。そう。トリノ五輪はもう間近に迫っている。ミラノ〜トリノ間はわずかに110キロ。マルペンサ空港に到着すれば、トリノ五輪のオフィシャルショップが、目に飛び込んできた。

 トリノに行かずしてスポーツは語れないと、言いたくなる自分はいま確かに存在する。だが、同じ時期に日本代表のアメリカ遠征もあれば、チャンピオンズリーグの決勝トーナメントも始まる。僕が2人必要な状況に、いままさに迫られている。

 リスボン到着。もはや真冬のミラノと比べるとこちらは秋。ミラノでは味わえない独特の柔らかさも健在だ。ホッとせずにはいられない、緩やかな風が吹いていた。リスボン訪問は、およそ1年半ぶり。ユーロ2004以来になる。懐かしさが込み上げてきた。あの1ヶ月間は、とてつもなく楽しかった……。

 空港からタクシーでホテルに向かうや、高速道路の右手に「ジョゼ・アルバラーデ」が見えてくる。言わずと知れたスポルティング・リスボンのホームである。そこで僕は、あることにハタと気がついた。スポルティングと言えば、グリーンと白の横縞ユニフォームだ。となれば、セルティックであり、レアル・ベティスである。

 僕は2週間前にはセビーリャにいた。その2週間前にもセビーリャにいた。つまり、約2週間毎に続けて3回もイベリア半島の奥地を訪れたことになる。しかもその3回とも、一度東京に戻っている。馬鹿の骨頂を繰り返しているわけだが、おかげで、マイレージは貯まる一方だ。本物の貯金は寂しい限りだが、こちらの懐は暖かい。大抵の人には勝つ自信がある。フンだ。いや、エヘンか。

 それはともかく、僕が今回目指す場所は、グリーンではなくレッドである。「ダ・ルス」。ベンフィカ対マンU。そしてこちらの方も、僕の読みは当たった。好試合という事実に加え、結果も的中させた。マンUのレッドには、いま全く冴えがない……などという原稿を翌日、延々書いたわけだが、そうこうしていると「抽選会」の日がやってきた。

 当日、とりあえず、名物のイワシとポルトガル風のおじやで腹ごしらえをして、ホテルのテレビに食い入った。ユーロ2004の舞台となったポルトガルで、2006年ドイツW杯の抽選会の模様に目を凝らす。悪くない選択である。

 長期間に及ぶ大会の取材を、後になって思い出せば、感傷的な気分に浸ることができる。ユーロ2004しかり。ドイツW杯も後々、そうした対象になることは分かり切っている。2006年のドイツを思い出した時のことを、僕はポルトガルで早くも想像していた。好試合に遭遇した回数と、感傷に浸れる量は比例するというわけで、僕は抽選の結果を受けて出来上がったグループリーグの日程表と、すかさず睨めっこした。と同時に、例の願いも湧いてきた。僕が2人欲しい。

 とはいえ、1人しかいないから面白いと言いたい自分もいる。選択や判断が大当たりした時の快感は、筆舌にしがたいモノがある。2002年W杯で、僕は、宮城の日本対トルコ戦を急遽キャンセルし、大田で行われた韓国対イタリアに向かった。それを決断した時のスリル。読みを見事に的中させた満足度。これは僕が2人いたら、味わえなかったのだ。

 その辺りの話は、12月15日、全国の本屋さんで発売になる僕の書き下ろし本「ワールドカップが夢だった」(ダイヤモンド社刊)の中に、満載されています。お暇な時に、目を通していただければ幸いです。

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