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20世紀末の天才と最後の意地。
~P・マルティネス、復活に懸ける~ 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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posted2009/07/27 11:30

20世紀末の天才と最後の意地。~P・マルティネス、復活に懸ける~<Number Web> photograph by Getty Images

7月15日、フィリーズと契約したマルティネス。WBC以来、実戦から遠ざかっているが、7月末の先発ローテ入りを目指す

 ペドロ・マルティネスがフィリーズと契約を結んだ。年俸100万ドルの1年契約。好条件とはいいがたいが、数字はこの際問題ではない。問題は、ペドロが衰弱から立ち直り、まともに投げられるかどうか、だ。サイ・ヤング賞を3回受賞した大投手が、最後に意地を見せてくれるかどうか、だ。

凄まじい記録が証明するマルティネスの偉大さ。

 ペドロ・マルティネスは天才である。20世紀の最終章を強烈に締めくくった剛腕投手である。「ピーク時における能力の高さ」でいうなら、あのサンディ・コーファックスと双璧ではないか。コーファックスは、引退直前の2年間で53勝17敗という成績を残した。その間、82試合に先発して54完投。奪三振も2年合計で699個を数える。1960年代中盤の話とはいえ、超絶的と呼ぶしかない数字だ。

 だが、「ペドロの4年間」もコーファックスに負けていない。1997年、モントリオール・エクスポズで投げていた26歳のペドロは、自身初めてのサイ・ヤング賞に輝いた。13完投、防御率1.90という数字も凄いが、被打率1割8分4厘という数字が眼を奪う。180cmを切る身長。80kgに届かない体重。当時の彼は、パワーピッチャーとは思えないほど華奢な身体をしていた。が、制球力と球種の組み合わせは見事だった。直球もカッターもチェンジアップもカーヴも、精妙に組み合わされることで威力が倍加した。

 ボストンへ移って、ペドロには加速がついた。'99年が23勝4敗、防御率=2.07、奪三振=313で投手三冠王。翌2000年は、勝ち星こそ18で留まったものの、防御率が1.74で被打率が1割6分7厘(ともにア・リーグ1位)。2位ロジャー・クレメンスの防御率が3.70だったことを思えば、ペドロが「ひとりだけ別のリーグで投げている」と形容されたのも納得がいく。

'06年の転倒事故以来、急激に下降線をたどったペドロ。

 そんなペドロが、メッツで苦しむ。私の知る限り、ケチの付きはじめは'06年5月、ベンチ裏の通路で滑って臀部を痛めたときだ。このときの彼は、審判に促されてアンダーシャツの着替えに向かう途中だった。不運というよりも、話を聞くだけで悔しさが込み上げてくる。こんな馬鹿げた事故で、天才の未来が奪われてよいものだろうか。

 以後は、故障の連鎖がはじまる。右のふくらはぎ、左のふくらはぎ、右肩の回旋筋……。ペドロはゲームから遠ざかった。球速はみるみる衰え、たまに映像を見ても、身体のたるみや頬の垂れ具合が眼につくようになった。

 結局彼は、メッツでは再生できなかった。4年間の通算成績は32勝23敗。移籍した最初の年が15勝8敗だったから、残り3年間の苦戦は容易に察しがつく。4年総額5300万ドルの年俸も、傷を深めただけだろう。

三行半を突きつけられたメッツに対する心中やいかに?

 それにしても、同リーグ同地区の球団への移籍とは意外だった。ペドロ本人はメッツへの感謝と敬愛を表明しているが、昨季限りでの「離婚」を切り出したのが球団側だったことははっきりしている。遺恨という言葉を使うのは穏やかではないが、あれだけ気性の激しいペドロに、心中期するところがないとは思えない。肩を調整してマウンドに登るのは数週間先のことだろうが、フィリーズはたぶんメッツ戦にペドロをぶつけてくるはずだ。私は、この試合を見てみたい。

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