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内柴の金メダルの価値。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byJMPA

posted2008/08/11 00:00

内柴の金メダルの価値。<Number Web> photograph by JMPA

 「夢じゃないかって思うんです」

 アテネ五輪に続き連覇を果たした柔道男子66kg級、内柴正人はこう口にした。

 その価値は二つある。

 一つは先手先手と常に仕掛ける攻めの柔道で金メダルを手にしたことだ。払い腰、ともえ投げ、肩車、小外刈り……さまざまな技を駆使し、自分のペースを作っていった。

 昨今の日本柔道の不振から、一本を取りに行く日本の柔道の限界がささやかれていた。ポイントを考え、駆け引きを重んじる柔道こそ勝利する道ではないかと揺らぐ部分もあった。

 だがそれは早計にすぎることを示したのだ。

 内柴自身、日本柔道に対する誇りを胸に戦っていた。

 「僕らは日本の柔道に自信をもっています。貫き通せば勝てる、と。でも最近は勝てていなかったから、自分が代表になって世界に通じることを見せたい気持ちはありました」

 会場には各国の応援団が集っていた。彼らからも「おーっ」と感嘆の声がもれた。魅力ある柔道だったからにほかならない。

 そしてもう一つは夢を見続けることの大切さだ。

 これまで何度も柔道をやめようと思ったことがある。そのたびに這い上がってきた。

 中学生の頃から全国大会で優勝し将来の日本代表と期待されていた内柴は、もともとは60kg級で戦っていた。だが過度の減量苦からシドニー五輪の選考会、2003年世界選手権の代表選考会ともに試合を辞退する羽目に陥り、柔道をあきらめようとし、その都度、「まだ成し遂げていない」と再起してきた。

 アテネのあとも苦しい日々が続いた。05年のカイロ世界選手権こそ出場し銀メダルを得たが、その後は勝てないことも多かった。07年の世界選手権では代表から外された。ときに引退の二文字が脳裏をよぎることがあった。

 だが、揺らぎながらも、「北京でチャンピオンになりたい、と続けてきました」

 山本洋祐コーチも言う。

 「アテネのあと、代表になれないときでもくさらずに練習を続けてきた。それが大きかった」

 あきらめなければ望みがすべてかなうわけではない。だがあきらめたら可能性は閉ざされる。2つめの金メダルは、可能性を信じて戦い続けた結実だった。

 2つの価値を示した内柴の金メダルは、初日の谷亮子の銅メダル、平岡拓晃の初戦敗退で沈滞ムードに包まれようとしていた柔道の流れをかえた。

 このあと苦戦が予想される中量級へと移っていく。彼らがあとに続くことを期待したい。

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