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『ふたつの東京五輪』 第3回 「カラーテレビと開会式」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byPHOTO KISHIMOTO

posted2009/06/11 06:01

『ふたつの東京五輪』 第3回 「カラーテレビと開会式」<Number Web> photograph by PHOTO KISHIMOTO

[ 第2回はこちら ]

前年から何度もリハーサルを重ね、万全の準備をもって迎えられた東京五輪の開会式。1964年10月10日、日本中が待ちに待った日本初のオリンピックが、ついに開幕を迎えた。
日本初のスポーツ専門フリー・カメラマン岸本健が回想する、開会式当日の風景──。

 1964年10月10日。

 今も忘れられない1日。そう、待ちに待った東京オリンピック開会の日です。

 この日のために、大会に携わる人々もそうですが、私自身あらゆる準備を整えて臨みました。

 当時、私は府中に住んでいましたが、大会期間中の撮影活動のために、千駄ヶ谷にあるマンションを3部屋借りました。水泳の日本代表選手たちが合宿のために借りていたところでしたが、大会を前に引き払うことになっていまして。空いたのを幸い、彼らと入れ違いに全部借り受けたのです。千駄ヶ谷は国立競技場の目の前の駅。近場であればすぐに駆けつけられますし、正直に言いますと……交通費の負担も軽くなるからです(笑)。

 3部屋も借りた理由は、オリンピックの全種目を撮るために「チーム」のような撮影体制を採ったことにあります。学生など若い人たち十数名を雇いまして、分担して可能な限りすべての競技を撮影しようとしたのです。そのためにも部屋が複数必要でした。

 それぞれの部屋に何人もが寝泊りするさまは、さながら合宿のようでした。当時の金額にして400円ほどする天丼をみんなにふるまったこともあります。当時の物価からしても、私のその頃の稼ぎからしてもずいぶんな贅沢ではありましたが、士気を高めるため、そして頑張ってくれた彼らを労うためには惜しみませんでした。

 開会式前日には、「誰々は、この日はここ、誰々は、その日はあそこ」と、撮影スケジュールを作っては指示を出したことを覚えています。

 今から考えると、当時のスタッフたちに指示を出し、スケジュールを組み、大きなスポーツイベントを撮りきる仕事こそ、現在の会社フォート・キシモトの土台となったのだと思いますね。

開会式の有料リハーサルで撮影プランを練った。

 ところで開会式というものは、どの大会もそうですが事前にリハーサルを行なうものです。東京オリンピックでも、1年ほど前から何度も国立競技場で行なっていました。

 そのリハーサルは、学生さんを擬似の観客として動員することもありましたが、実際に大勢の一般のお客さんがスタンドを埋め尽くすこともありました。まるで本番さながらの雰囲気でしたが、彼らは無料ではなく料金を支払い、会場に入っていたのです。リハーサルだけなのにお金を払ってでも観たいという思い……それだけオリンピックへの関心は高かったのです。ちなみにその収益は、大会に携わる人々の交通費や弁当代などを賄うために活用されたそうです。

 そのリハーサルに行くことは、私にとっても重要な仕事でありました。

 リハーサルの光景を撮ることも大切でしたが、実は開会式当日の撮影プランのシミュレーションのために観ておくことが必要だったのです。

 当時のカメラには今のようなズームレンズはなく、単焦点レンズしかありませんでした。ですから「選手の入場行進のときは、スタンドのこの位置から、このレンズで撮影しよう」と決めておかないと当日の予定が立たなかったのです。ですので、私にとってはリハーサルと言えども、撮影プランを練るためには絶対に行かなければならない行事でした。

派手な演出はなかったが、期待感をあおるには十分だった開会式。

 開会の日となりました。

 開会式会場の周辺も、午前8時頃にはすでに相当騒がしくなっていたと記憶しています。私は午前6時にマンションを出て、国立競技場に向かっていました。

 私はフリーという立場もあって、取材パスがありませんでした。だからチケットを購入して一般のお客さんたちと一緒に場内へ入ったんですね。

写真

日本選手団の入場。選手は355名(男子294名、女子61名)役員82名の合計437名が参加した

 選手の入場が始まると……東京オリンピックに参加したのは94カ国という大変な数でして、世界中から集まった外国人の選手団が整然と行進する姿に、もうとにかくわくわくしたのを覚えてますね。

 日本の選手団は最後に姿を現しました。

 入場行進に関してひとつ、エピソードがあります。日本選手団は、正面スタンド側に、背の高い、格好のいい選手を配置したのです。正面スタンドには、昭和天皇陛下と皇后陛下をはじめ、各国からのご来賓の方々がいらっしゃっていました。きっと、見栄えをよくしたいという意図からだったのでしょうね(笑)。

 今日の開会式は派手な演出が行なわれ、まるで芸能大会さながらの模様となっていますが、このときはそれほど特別な演出はありませんでした。そのほうがだらだらと長時間かかることもなく、スポーツの大会にふさわしいように思いますが……。

 強く記憶に残っているのは、中野区の富士見小学校の生徒さんたちによる鼓笛隊の演奏です。これが本当に上手で、一糸乱れぬ演奏だったのです。私もですが、誰もがびっくりしまして、感動していました。

【次ページ】 1945年8月6日生まれの聖火ランナーに託された思い。

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