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“松坂2世”涌井秀章は西武のエースとなれるのか。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2004/12/16 00:00

 西武は松坂大輔を獲った時の横浜高との信頼関係が、涌井秀章の指名で生きた。選手の獲得を巡っては、球団と大学・高校の関係者との間でトラブルが多い。横浜は'94年のドラフトで1位に横浜高の紀田彰一を指名した。だが、'99年に解雇、両者の関係はギクシャクしてしまった。逆に西武はその紀田を拾い、さらに関係を深めたのだった。

 今季の西武は親会社の不祥事によって、ドラフト戦線では苦戦の連続。楠城徹編成部長が「指名挨拶に行こうとしている時に限って、親会社に何か起きる」とこぼしたほどだった。そんな中で、1位指名は宇治山田商の江川智晃だと見られていた。しかし、蓋を開けてみれば、涌井を指名。ドラフト後、伊東勤監督は「本当は涌井を欲しかったので、江川をカモフラージュに使っただけ」と安堵の表情で、本音を明かしていた。涌井側も両親、本人ともに西武入りには大満足。「松坂さんのいる西武に入れればいいなと思っていたので、本当によかった」と笑顔でコメントしている。

 涌井らの世代にとって“松坂”は神様のようなもの。その松坂たちが憧れたのがPLの桑田真澄(巨人)。桑田世代は作新学院の江川卓(元巨人)を目指し、というように5~6年周期で甲子園で活躍した投手がアイドル的存在として、後輩達の目標となってきたのだ。涌井が憧れの松坂からアドバイスを受けたのは、高2の夏の予選の時。「自分を信じて余計なことを考えずに投げればいいんだよ」と声をかけられた。秋季大会が終わった時には「春までの間、何も考えずに走れ」と励まされた。涌井もこの言葉を信じ、走りこみに徹した。結果は夏の甲子園でベスト8敗退。小倉清一郎部長は「松坂と比べるとまだまだ必死さが足りなかった」と厳しかったが、松坂は涌井が2回戦の京都外大西戦で9回2死から、この試合最速の147kmをマークしたのを見て、かなりの練習量をこなしたのだと判断していた。涌井の西武入団が決まると、横浜高の渡辺元智監督は「お前がメジャーに行くのはいいが、キッチリと後を育ててから行け」と先輩に指導役を託した。松坂も「出来るだけ役に立ちたい」と意気に感じている。伝統の他球団翻弄ドラフトで獲得した大物をエースに育てる素地は整っている。その時に、西武の名前が残っていればいいのだが……。

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